肥後の北半国を清正、南半国を行長が治める事になった際にも、人吉はその両者ではなく、相良氏が治め続けた。
清正公岩は、清正が人吉を攻めようとしたけれど、この岩を見て引き返したという伝説のある岩だ。
岩というより、小さな山といった様子。
確かに、こんな岩を見たら引き返したくもなると思わせる岩だ。
清正が人吉を攻めようとした事について。
人吉の深水vs犬童の対立と、清正vs石田三成の対立が背景にあった。
と、ご本人(熊本城おもてなし武将隊の加藤清正)は言いたい様子でしたが、真相は定かではない。
肥後の北半国を清正、南半国を行長が治める事になった際にも、人吉はその両者ではなく、相良氏が治め続けた。