修復的正義に関しての補足です。。。
元々の投稿はこちら⇓
「修復的正義と100年先の未来のこどもたち」
修復的正義では司法は社会的秩序のために
必要なものであると捉えています。
また、反省の色のない残虐非道な加害者を
コミュニティから隔離するための刑務所の存在も
必要である、としています。
ハワード・ゼア先生は
「修復的正義の主な役割は許しや和解ではない、調停ではない」
とも明言しています。
では、
修復的正義における「正義」とはなんなのか。。。
私は
「うやむやにしないこと」
なのかな、と感じました。
修復的正義を通して
真実を語り合うことにより、
加害者は
自分が犯した罪を真正面から捉えなおし
その罪をつぐなうための責任を負う
(上辺だけでなく心の底から)
同時にそれをせざるを得なかった根本原因を癒やす
被害者は
なぜその犯罪が起こらなければならなかったのか
なぜ加害者はその犯罪を起こしてしまったのか
現在の司法的解決では明確にされづらい部分を
うやむやにせずに知ることができる
そして、その過程の中で
被害者になったことで失われてしまった
個人としてのパワーを取り戻し癒やされていく
つまり、
真実をうやむやにせず
当事者とコミュニティ全体が
それぞれの責任を果たし、
癒やされていく
それが「正義」なのかな、と思いました。
確かに、
重い刑を加害者に科すことにより
被害者のある一定の思いは解決されるかもしれません。
しかし、
そこに残るのは「なぜ?」という問いかもしれません。
そして、
その問いが被害者の心に残る限り
疑問というスペースが埋まることはなく
ともすれば「憎しみ」だけが増幅されてしまう。
最悪な場合には、
その憎しみという逃れられない感情が
いびつな形で残ってしまったことにより
人を被害者から加害者へと変貌させてしまうこともある。
その「憎しみ」の連鎖を断ち切り
未来への道を紡いで行く一つのヒントになるもの
それが修復的正義なのではないか
そう思いました。
なので、希望を感じたのです。
未来の子どもたちに素敵なプレゼントを
届けられるのではないかと思ったのです。
それが、私が感じたことです。

