先週の土曜日は
「修復的正義 トレーニングワークショップ」へ。
主催は
熊本大学大学院 社会文化科学研究科
交渉紛争解決・組織経営専門職コース長
石原明子先生。
講師の
カール・スタファー先生と
キャロリン・スタファー先生(共にイースタンメノナイト大学)は
大学院時代の石原先生の恩師だそう。
私にとって初耳だった
「修復的正義」というコンセプト。
ワークショップの課題図書だった
「責任と癒し ハワード・ゼア著」によると・・・
「修復的正義とは、侵された罪悪を可能な限り正し、
癒すために、その罪悪による損害、ニーズ、果たすべき責任を
すべての関係者がともに認識し、語る協力的な手続きである」
と定義されています。
内容もよく分からないまま、
ほぼほぼその「タイトル」に惹かれて参加を申し込んだ私。
(いうなればCDをジャケット買いしたようなものです。)
本を読み終える頃には
そのコンセプトの受容性の高さにとてもとても感銘を受け、共感し、
ワークショップに参加する前から このコンセプトは
私にとって一つの大切な学びと経験になると確信していました。
そして、ワークショップを通して確信から必然へと変わりました。
私がこのコンセプトに非常に共感する理由の一つ。
それは、その事件や出来事に関する当事者(加害者と被害者)と
そのコミュニティの全ての人々が 「個」を尊重しながら
対話を通して責任を明らかにし、
そして癒やされていくというプロセスの尊さにあります。
「修復的正義の目的は、
関わりあったすべての人に癒しの経験をもたらすこと」
だとハワード先生は説いています。
そして、その大前提としてそこにあるもの。
「修復的正義の根底には、
すべてはつながっている縁ある存在だというヴィジョン」があり、
「互いにつながり合っているという価値観は
個別の違いを尊重することによってバランスを取らなければならない。
私たちは皆同じではない」からだ、という考えがあります。
もともと、
「違いを受け入れ尊重すること」を大切にし、
「異物を排除すればいい」という考え方に
違和感を覚えていた私にとって、
例え許されない罪を犯した犯人だとしても、
「個」として尊重し、その人がきちんと責任を果たし
癒されていくために被害者もコミュニティ全体も関わっていく。
(ここでいうコミュニティとは当事者に深く関係している人たちのことを指します)
そして、被害者のニーズを誠実に満たすために
加害者本人から真実を聞く機会を設けること。
被害者自身も自分に起こった出来事や感情を真実として述べること。
そして、もちろんコミュニティも。。。
損害を修復していく過程において
被害者とコミュニティ全体も力を取り戻し癒されていく。
そのプロセスはこれまで感じていたジレンマにヒントと希望を与え、
そして、人のあたたかさと賢明さと誠実さを
しっかりと感じられる素晴らしい時間でした。
しかし、その美しいプロセスを実現することは
非常に大変な道のりであることも知っておく必要があります。
カール先生、キャロリン先生は言っていました。
「修復的正義というコンセプトはとてもシンプルで理解しやすい。
しかし、実際に行うことはとても難しいことでもある」
また、実際に修復的正義のプロセスを体験し
癒やされた経験をお持ちの石原先生は
「修復的正義のプロセスはとてもつらいけれどもとても聖なるもの」
ともおっしゃっていました。
ともすれば一生目をそらしたいかもしれないことに
しっかりと向き合うこと。
それぞれがそれぞれの責任を果たすために真実を述べること。
被害者の「知る」権利を最大限に尊重すること。
そして、修復していく課程で「憎しみ」の連鎖を断ち、
当事者たちが未来へとつながる癒しを感じられること。
ことばにすることはたやすいものですが、
「責任」を果たし「癒し」を得るというのは
並大抵のことではないでしょう。
受け皿となるコミュニティの成熟度も問われるかもしれません。
それでも、
人は人との関わり合いの中でこそ変容できると信じている私としては、
このコンセプトが何かしらのヒントになると思うのです。
100年先のこどもたちに美しい世界を届けるための
素晴らしいプロセスだと思うのです。
尊い考えと先生と仲間に出会えたことに感謝して。

