私には、一年に一度お茶の香りに包まれ、心穏やかに、自然の音に耳をすませて過ごす大切な一日があります。
気づけばもう三年目。
今年のそれが、先週の土曜日(9月6日)でした。
きっかけは、あるおじさまとの出会い。
日本茶インストラクターでもあるそのおじさまは、この季節になるとおもむろに私に電話をかけてきては、自然に帰る時間に私をいざなってくれます。
メインはいつも晩茶作り。
番茶ではなく、晩茶。
ゆうこみんのワンポイントレッスン
よく目にする、あるいは耳にする静岡など関東の「番茶」は八月頃に摘む三番茶のことを言い、二番以降の葉から作られます。(一番目の葉はいわゆる新茶ですね。)この二番、三番のお茶は、いわば番外のお茶となり値段が安い番茶とされていました。
一方で、関東より西の「晩茶」は、木が熟す七、八月に摘んで作る一番茶です。一度も葉を摘むことなく八月まで大事に育てて遅摘みするところから漢字で「晩茶」と書きます。この晩茶は、年に一度しか摘めない優れたお茶なのです。
土曜日は晩茶作りの他に、小豆取り、栗拾いも楽しませてもらったのですが、もくもくと栗を拾っている時に改めて感じたんです。
というか、降りてきた(笑)
「あると思えば、ある」
栗拾いを始めた時、私は落ちている栗の外側(イガイガしているところ)ばかり見ていて、
「栗、ぜんぜんないじゃーん」
と、失礼ながらもそんなことを思いながら拾っていました。
落ちていたイガイガの中にはほとんどお目当ての栗さんがいなかったんですね。
ちょっと肩透かしをくらったような、寂しいような。
一生懸命探すけれども、ちっとも栗に巡り合えない
でも、周りを見渡してみると、みんな栗を拾っていたんです。
しかも、さっきまで私がいた場所で栗を拾っている。
「栗、たくさんあるねー」
という声まで聞こえてくる。
「あれ?」
なるほど。
私は「栗はあるんだ」と思って栗を探し始めてみました。
そしたら、あるはある。
栗がいーっぱい落ちていました。
その栗さんたちはイガイガの中に入っていたわけではなく、栗一粒一粒がぽとりぽとりと地面に直接落ちていたんです。
時には草に隠れながら。
時にはイガイガの後ろに隠れながら。
でも、栗は、そこにありました。
ちゃーんといてくれました。
「あると思えば、ある」
さて、晩茶作りの仕上げは、各自家に帰ってから行います。
土曜日の夜はお天気が心配だったので、持って帰ってきたお茶の葉を自分のお部屋の一角に広げて乾燥させました。
ほのかに香るお茶の匂いに包まれて眠る。
何ともぜいたくな至福なひととき。
作った晩茶は一年寝かして来年のお楽しみです

まずはお茶の選定から
晩茶はお湯でことこと煮て作るので、枝まで使う恵みたっぷりのお茶なのですよ

ぐつぐつ1時間ほど煮ます。
時間が経つにしたがい、ほっとするやわらかなお茶の香りがあちらこちらに