今日は、父の日ですねえ・・・
父の日に、被災地5県(岩手・宮城・福島・茨城・千葉)で作られた花言葉「希望」の
気持ちを込めたガーベラを贈る、出荷作業が、南青山では、続いているそうですねえ・・・
あらためて・・・・ 産経新聞より・・・
被災された方々とそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。 被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。 |
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父の日に、
私は、ピンクの紫陽花と後は、好きなものを買ってもらうように、
兄弟姉妹でお金を集めました。![]()
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私の父は、淋しい色は、似合わないので・・・
いつまでもエネルギッシュな父には、
花言葉の(元気)なピンクの紫陽花を!プレゼントしました。
先日、17日に発売されました日刊スポーツ(龍馬を支えた男たち)
で、岩崎 弥太郎さんの記事のお話頂いたときは、とても嬉しかったです。
私の母は、父との結婚前、三菱重工業に務めていたし・・・
私の父は、両親が、教会をしている宗教家だったので、戦時中、自分の家族よりも、
戦争孤児などに配給したり・・で家の人は常に我慢・貧乏な暮らしだったらしく・・・
父は、お金も全くないところから、一代で、株式上場の会社を創るまでになりました・・・
無形から有形が、父の会社の社訓でもあります。
祖父を男として楷書なしと反発しながらも、自分が稼いでは、最後まで自分の両親の
生活の面倒をみていました。
70代になっても、まだ会長にもならず、健康管理もばっちり!!
今尚、元気いっぱいに仕事の夢を語る父を誇りに思います。
父のかつての名言に・・・人間は、生きている間、浦島太郎でいい ・・・
たいやひらめを捕まえるのに頑張って・・・ 白髪になるのは死ぬときだけでいい・・・と
何があっても前をみるのやと・・・
人間は何か成し遂げるには、逃げたらいかん、苦労して人の気持ちもわかるようになるんやと・・
今でも、子供4人には、厳しい父ですが・・・そんな頑張りやの父の背中をみて育ちました。
今日の父の日に・・・感謝を気持ちを込めて・・・いつもありがとう・・・・
父さんには、華やかな色が似合うから・・・紫陽花は濃いピンクで・・・・![]()
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「三菱の創立者」である弥太郎も、博打うちの父親を嘆き反発していましたが、
江戸で勉学に励んだ修行時代、父親、弥次郎の負傷の一報きいた弥太郎は、
江戸での勉学は、夢であったが、その夢であった江戸を父親の負傷で離れ、
この時代にたった16日間で、実家にたどりついた。
そのけなげな弥太郎の姿こそが、彼の人生の原点だった。![]()
と思うと・・・・(日刊スポーツ17日小西敏明記者 の記事より・・・)
海運業で世界に進出するという龍馬の夢を叶えた
岩崎弥太郎さんの後編は・・・
三菱発祥の地・・・土佐稲荷神社からです。
弥太郎は、土佐藩の大阪商会の責任者として赴任し、約5年間を過ごした。商いの接待にと境内に土俵をつくり、相撲を興行し、歌舞伎も上演した。廃藩置県が実行され、晴れて商人として、藩から独立した弥太郎の商売の原点があった。 (日刊スポーツ、小西記者文より)
爽やかな新緑の美しい土佐稲荷神社・・・・
三菱発祥、わずか、150年前の事なんですね・・・・・・
三菱創始者という、弥太郎さんの大成功・大活躍の原点には、
人一倍の、人に対する思いやりや情の深さがあったそうです。
大阪市営地下鉄千日前線 「西長堀駅」改札口を出て徒歩数分、
大阪市立中央図書館の西に三菱発祥の地・・この土佐稲荷神社があります。
お二人とも、とても優しく、温厚な方で・・
お仕事とは思えないような、ゆったりとした時間が流れました。
好きな歴史の縁りの地で、ロケできて、しかも小西様の詳しい解説で、
殆んどの方が知らない奥深い歴史街道を、知る事ができ、
大変に有意義な感動いっぱいの1日でした。
森山様、小西様 有難うございました。





