…泥に溶け入る雪兎
<またあわむ どろにとけいる ゆきうさぎ>
パソコンの隅っこに 得体の知れぬ 駄一句
去年のものにあらず
とすると 12年ほど前の 年賀状用か
何かの折に 思い立ち こねまわし 上書きして
栗鼠ちゃんよろしく 団栗の隠し場所
忘れたらし
次の干支巡り来たらば 賀状に使うとするか
あ でもそれ ムリだ むりだ 「尺取り虫の腹筋」 無理だ
だって
一巡り半もすれば 確か 我れ「生誕百年」
ぢゃぁないか
めでたい
上書き人生
昨日に今日を 今日に明日を重ねて…この世は
いのちの「上書き」や
な
いきもの 植物 事物 地名など なべて例外はない
栗鼠ちゃんの 物忘れ癖も また神の配剤か
春来たれば
地中に忘れられた 団栗は芽を出す これも「上書き」
京都府 「宇治」
民俗学の宮本常一氏の説に
「ウジ」とは 獣道の呼び名で 「宇治」は 上書きとある
試みに兔道 「卯路」の字を 当ててみると
百人一首 喜撰法師の
わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうじやまとひとのいふなり
「うじやま」を 「卯路」の奥山の意 と読めば
喜撰さんの謎々 ハラリ解ける
ダラシネの 「上書き氾濫」の 現代なれば
上書きの「原点」 忘るゝことなかれ
と
その「最下層」にあるものを 思い描く想像力こそ
大切なことかも
知れぬ
弥生小僧
「ガッコ」は好かぬ 山羊と遊ぶほうが なんぼか楽し
私はそんな餓鬼であったが 何故か 「行かねばならぬ」らし
谷間の奥の家を出て 杣道トボトボ下る
これが 私の「上書き」の 始まり
橋は麓にひとつ だから 川向うの県道を横目に
棚田の細道 くねくねと ひとり
中ほどに ひねこびた 松の木が三本
その下を潜る時 必ず 「クッククッ」 子供の笑い聲
姿は 見えず
行きも帰りも 「クッククッ」
初め薄気味悪かったが すぐに往還の 密やかな愉しみに…
思い切って 母だけに語ると
「ほぉ 聴こえたか お前は幸せ者よ それは笑童子じゃ」
聴こえる者と 聴こえない者が あるという
三本松の附近は
「笑童子(わらどし)」と呼ばれ 弥生時代の集落跡とかで
耕地整理の折に 出土したらし
<奈良博に記録があると聞くが いまだ閲覧できず>
したば
あの笑い聲は 「弥生の小僧」
か
南の国の雪
南の者にとって
年に一度か二度の 雪は嬉し
嬉しい日に 不愉快なことが起こる それが「ガッコ」
お昼は母の手製 高菜漬けでくるんだ おにぎりふたつ
好物だから やれ嬉し
「おお お前 タドン喰うのか」
街場からの転校生 「ヨースケ」の奴は 遠慮を知らぬ
タドンとは 何ぞやなも
知らぬくせに 皆して嗤う 奇妙な「ガッコ」
知らぬ顔して ひとつ食べて ひとつはカバンに
早く帰って 弥生小僧と 半分こ
が
そんな日に限って 小僧の聲がしない
松の脇の田圃の 「藁ボッチ」の裏を覗くと ポッカリ穴…
誰かが寝た気配 さては 「弥生小僧の巣」か
潜り込むと 暖かい 草の実 干し草の匂い
藁の窪みに おにぎり一つ 置いて帰る
小僧の愉しみに…
翌朝通ると 「クッククッ」と いつもの聲
巣を覗くと おにぎりは
なかった
凧
毎日木に向かって 鑿を打つ 頭空っぽの時間
彫る術は すべて木が 教えてくれる
ゆらゆらり 風に任せて 空を泳ぐ 「凧」の如し
一筋の糸を命綱に 「上書き」に 「上書き」を
連ね 重ねて よくもまぁ…
思えば 遠くへ
ここから 棚田道が 見える
藁ボッチが 見える
あれはもしや 「胎内」であった
か
微かに
「クッククッ」
風の聲か
小僧の
聲
か




