雨師風伯を と為し

銀漢遥か 牽牛の唄

たかつきや うしふうはくを ともとなし ぎんかんはるか けんぎゅうのうた

 

<京左右往来展始末❷漆>

 

高坏(たかつき)とは祭祀の際 供物をそなえる高脚付きの器

その起源は 縄文・弥生の頃とか

原初は土焼製 後世になると木製で 「坏」「杯」と 分けて記す

平安期の絵巻などに 「貴人」に供する場面の描写を 見かけるが

「高坏」とは 貴人だろが 乞食であろが 間違ぅても

「ひと」が為に 用いるものでは なかろう

 

では「高坏」とは

一体誰の為に 何を盛るもの なのか

 地上の万物余さず育くむ 天の配剤への謝意 

その大いなる森羅万象への畏怖

高坏に盛るべきは 

天と地の狭間にある 人間の裡なる「感謝のこころ」に

あると思うのだが

「こころ」とは 稀代の曲者なれば

残念ながら

我々は「こころ」の 確たる正体も アドレスも知らず 

故に 

それを取り出だし「高坏」に盛り 奉る術を知らぬ

したば ほかに手立てなく

海の塩や鮑・昆布 地の五穀…などを 「こころ」の形代として

これを借り受けて 仮託するしか

ない

 

 

 

の「高坏」

ほう…

もしかしたば 

この「高坏」なら 不確かで曖昧なる 「こころ」とやらを

盛れるやもしれぬ

初めて 画廊でこの「高坏」に 出逢ぅたとき 思ぅたは

「こころ」は 風に乗せ 雨に託せよ

されば 雨止み 陽沈みてのち

蛍あくがれ出でて 群れ飛び交い

木の葉の闇を抜けて 悠揚たる天の河に誘い その深淵も

見せてくれよう

伸びやかな 牽牛の「牛追い唄」も 聴こえるやも と

同時に

 

期せずして 思い浮かべたは 

日向・平家落人の末裔の集落 「椎葉村」に伝わる

「猪狩神事」のこと

年に一度 集落総出の 猪狩り

山一番の主と おぼしき一頭を 仕留めると

尻尾の毛を一握り切り 青竹に挟み 地に立てて

長老が山の神に感謝と 次なる年の「恩恵の願」を

恭しく述べるのだが

祭祀の締めに それを打ち破るかの如く

意表突いた 一言を放つ

のさらんこつは お願い申さず

<のさらん とは 運のない者 その資格を持たない者を指す>

我が日々の暮らしに 万にひとつ「濁り」あらば

願聴き給わずとも 一向に構わず

山野に生きる者ならではの

 骨太の 天に対峙して恥じぬ 潔さ

 

 

 

この「高坏」の作者は 太田勲・早百合夫妻

手法は台座が木轆轤 鉢の部分は型に 漆を染ませた麻布を

丹念に巻きあげて成型する 「乾漆技法」である

成型 研磨 塗り 漆絵…と

まさに 気の遠くなる作業だが それは

手仕事をする者の宿命 というもの

面白きは

「杯」に 繰り抜かれた 「木の葉」

この数葉がもたらす「闇」の 存在によって

この「高坏」は 従来の概念を超えて

宇宙の虚空へと ひとの想いを導く 「祈りの形」と

なった

 

作品は ひとを選ぶ

この「高坏」は 洛中洛外の水の不思議を 研究テーマと

されている

「水司教授(仮名)」の 所蔵となった

天道花雨師風伯雷公宇宙循環の営みの証

そは「水の生態」なり

ということか

なるほど

ねぇ