の花やの破れのかな

うのはなや かさのやぶれの かざしかな

 

卯の花の 匂う垣根に 不如帰 はやも来鳴きて 

忍び音もらす 夏は来ぬ

この歌聴いたとき、

なして「オカラ」が垣根にあるんだろと思ぅた。

あ、だから、

それを不如帰が食べに来るんか…

<オカラを煮てさ、卯の花でございますだって、さ>

あれは、ねぇ、「キラズ」とも言ぅて、

雑炊の米の足しにするか、豚の餌でしたの…

 

「空木」と書いて「うつぎ」。

この花が、卯月の頃(旧暦4月)に咲くから…卯の花。

不可思議な落葉灌木で、ほかに類を見ない。

 

試みに伐ってみると、幹は硬いが「髄」はなく、

名のとおり中は「空っぽの洞」である。

この「洞」は、な、

神さまの「天と地の通り道」なのじゃよ。

祖母に聞いたれば、しれしれと答えた。

「無学の学」っていう学問が、

<あ、学校にはないけれど…>

巷間には、

あるのよねぇ…

 

 

それで、ね…

垣根や畑と畑の境界に、「空木」を植える理由は、

この「洞」に秘密があるらしい。

「空木の洞」とは、つまり「中庸=ニュートラル」の意。

我を中心として、汝らツベラコベラと「相争うべからず」と…

多分、榊と同様で「境木」の意であろう。

 

毎年芽を吹き、花咲き、枝葉が茂ると、

畑の持ち主は、双方から枝葉を刈り、畑の肥料となし、

隣人とその境を「和する」のである。

農夫の智慧、見習うべし…

それと、

空木は硬い木なので、

木釘を削り、米ぬかと鍋で炒り、細工ものに使う。

木と鉄釘は相性悪し…

やはり「木には木釘」を用いよ、ということか。

職人の智慧、これもまた、恐るべし…

 

 

田植え

日本列島は南北に長い、

まるで「軍艦列島」みたいだから、ね。

地域地方によって、田植えの時期も異なる。

要は、田植え時期の合図となる花を指して、

「田植花」と呼ぶわけで、

それぞれ地方によって異なるから、植物図鑑の出番はない。

まぁ、土地土地によって、

アバウトに呼びならわされている。

 

越後あたりの田植花は、「空木」…

「洞のホラ話」と、「房咲きの白い花」が、

秋の豊饒の景、「実る稲穂」を連想させるからだろう。

 

新潟県上越市仲ノ俣の苗代掻き風景。卯の花を鞍に飾って…2009年初夏、これが最後となった。

 

 

象潟に西施が合歓の花

きさがたや あめにせいしが ねぶのはな

せっかくの「芭蕉翁」の風流、おじゃまして、ごめんなさいねぇ…

 

所変われば、なんとやら…

薩摩では「合歓の花」は、かの悲運の「西施」とは、

縁もゆかりもない田舎流。

ただ、「田植花」と呼んで、目印としてますの。

<以前は台風銀座だったから、稲の開花と二百十日のガチンコを避けて、

田植は遅かった…六月末頃に咲く「合歓の花」が田植花。>

 

郷中(集落)は、すべて「結い」だから、苗田は一枚を共同で。

早苗採りが終わると、

特別に 先山さきやま と呼ばれる馬方を頼む。

先山の出で立ちは、

馬には深紅の腹掛け、胸当て、尻がいも華やかに、

鞍に合歓の花枝を飾り、鈴を響かせながら…

勇壮な代搔きのさまは、 見ものであった。

これに、

「鉦太鼓楽囃子」が加われば、

江戸期の絵師描く「田楽」そのもの。

「先山の飾り馬」の華やかさは、御田植神事の名残りで、

江戸・明治・大正・昭和…とつづいた、 

最後のシッポであったと思う。

 

 

 

からだの中の太鼓

人間ってさ、「無法松」ならずとも、

太鼓の響きに血が騒ぐ…

なしてだろうか。

それは、ね…

ひとは生まれながらに、からだの中に太鼓が、ふたつ。

耳に「鼓」膜、心臓に「鼓」動…と、ねぇ。

<あ、「太鼓腹」、あんなもの論外だね>

太鼓の響きに、人間の根源の古傷が、疼くのね、きっと。

<一つや二つじゃないの、古傷は、噂並木の堂島、堂島雀…>

心臓の鼓動が、太鼓の響きを呼び、

そして宇宙と呼応するのか、

太鼓が、遠い太古の記憶を、揺さぶるのか、

これは、根太い、

謎、

だよね。

 

朱夏童子(夏のお使い小僧)=材肉桂/油彩着色/像高320粍

 

 

デジタル鳥(ちょう)とか、サギ鳥(ちょう)なんて、

(ぬえ)が、さ。

精霊の仮面被って、さ、大気の中を飛び交い、

いかにも人類は、日々進化しているかのように、言うの。

でも、どうだかねぇ…

ほんまは、ひたすら「退化の一途」なのかもしれない、

と思うの。

パンドラの箱は、とうに叩き壊されているし…

一度、さ、

蟻にでもなって、

空木の「洞」を抜けてみたら

なにか異なる世界が、

見えてくる。

保証はないが、

潜ってみる

価値