悩ましくも、どこか、懐かしい
人生の店仕舞い
あれを捨てて、これを捨てて、
今日こそはと、本棚の前に陣を敷く…
埃を払って頁をめくると、パリパリ古い番傘を開く気分。
あちらこちらに「紙魚」の口跡。
紙魚と書いて「シミ」、衣魚とも書く。船虫の眷属だろうか。
体調10ミリ、キラキラと光ることから「雲母虫(キラムシ)」
「箔虫(ハクムシ)」なんて優雅な別名もあり。
源氏物語に 「しみといふ虫のすみかなりて
ふるめきたるかびくささながら あとはきえず」とある。
カビ臭くとも、墨の文字は残してあるらしい。
この虫さん、きっと和紙好みなのだろう。
ということは、多分、
人類の歴史よりも大先輩ということだな、
きっと…
やぁ、先輩!と声をかけたいものだが、
実はお姿を拝謁したことは、まだない。
雲母虫や紙は手漉きに土筆かな
あぁ、駄句なんか詠んじまって、またまた本棚整理挫折。
額の角の羅針盤の針が、過去の方角を指してるじゃないの…
座って本でも読むとするか。
若杉憲司写真集「わが桃源郷」…
かれこれ20数年前に刊行された、お気に入りの本だ。
中国の詩人陶淵明の詩「桃花源記」の世界に惹かれて、
詩の舞台である「武稜源」を尋ねた写真集だ。
林立する奇岩、岩場を蛇行する棚田、畑仕事帰りの母子、草刈娘、
桃の花を持つ少女、鶏と老婆、月に霞む寺院の塔…
山峡の暮らしの数々の光景…
それらが、ちりばめられた淵明の詩と唱和して、
繰り返し木霊を聴くような気分にさせられる。
さすがの紙魚さんも寄り付いた気配がない…
あ、そうか、アート紙は好かんとねぇ。
●若杉憲司写真集「わが桃源郷」/1996年/平河出版社
その中の一葉に、奇山群を背景にして、
岩の上に雑木で作られた木馬がポツン…
こどものための遊具にしてはちと大きい。
小牛の慣らしのための鞍置きか、
それとも祭祀のためのものか…
荒縄の手綱もあって、何か独特のオーラを放っている。
騎手は誰なのか、気になるなぁ、
桃源郷の謎の木馬…
満開の桃の花に誘われて…
陶淵明の詩「桃花源記」は、
ひとりの漁師が偶然に発見した不思議な村のお話。
川の源に小さな岩穴あり。
漏れてくる光に導かれて進むと、広々とした集落があった。
花咲けば春、桑繁れば夏、木の実落ちて秋、雪降りて冬…
暦なくも自ずから知る。
陽の出とともに目覚め、畑を耕し、月の光を背に家路をたどる。
鶏は鳴き、子供たちは唄う。髪型や衣服も異形にて、
今がいつの時代で、皇帝が誰かもをも知らず…
漁師は歓待されるままに、夢のごと楽しく語りつつ
数日を過ごし、そこを辞す…
帰りしなに村長が「ここのことは他言無用に…」
言わないでおくれは、お口ムズムズ。
「あなただけよ」の一言は、たちまちウィルスとなり、
皇帝の耳に達して、国家総動員で探したが、
永遠の「お宮入り」となった。
●桃源郷の木馬の騎手/材シナ/油彩着色/像高220粍
誰もが、知っている…それが、桃源郷。
十月十日(とつきとおか)と言えば、
皆さん身体のどこかに、その記憶が潜んでいるかも。
そう、母の胎内…羊水の海に漂い、時代も知らず、
ひたすらの夢の中…その潜在記憶こそが
「桃源郷」のことなのではないだろうか。
今になって、それを詩人に確かめる術はないけれど、
下級官吏として各地を転々。晩年は田舎に隠遁して、
農耕と詩作と酒に悠揚と時を過ごしたひとの理想郷の夢か。
「帰路が閉ざされている」という結末を見れば、
やはり胎内回帰願望の深い思い、
明らかではなかろうか、と思う。
新潟県に「胎内」というところがある。
川沿いに遡る山間の町。
役場のひとにその由来を尋ねたら
「向こうの山に登って見てください」…
なるほど一目瞭然、眼下に横たわるは
「胎内」だった。
この世は、「理不尽極まる場所」であるが、
その始まりは、皆等しく「桃源郷」であった。
たとえば、「幸福と不幸」」「信頼と裏切り」…
人生何事も全て切り離し不可能、」
背中合わせの「永遠の双子」である。
そのことを思えば、何が起ころうとも、
いい時も悪い時も、「なんくるないさ」…
それに、さ。「輪廻転生」って言葉もある。
もし、次に生あらば、一羽の兎か、
一頭の鯨のお腹の中の「桃源郷」
かもしれないじゃぁないの…


