鬼の角って、なんだ?…
あれは確か小学校入学も間近という春彼岸の頃、
母から鬼の角さがしに誘われた。
なんや、それぇ!…母は答えず、
藁草履の古いやつを履いてけ
とだけ命じた。
山鍬と藁で編んだカゴを背負った母の後を、
黙々と渓流沿いの山道を遡ること30分ほど、
水源に近い谷間の突き当たりに、
こんもりとした孟宗の竹林があった。
中は森閑、淡い金色で奇妙に明るく一面の別世界だ。
積み重なった竹落ち葉は、
深々と草履がめりこむほどやわらかく、
まるで絨毯のよう…
母は一際大きな竹の根方に立つと、
南の方角に向かって、そろりそろりと横這い蟹歩き。
いいか、こうやって歩いてみな、
草履の下でチクンとしたら、それが鬼の角や。
おそるおそるやってみると、草履ごしに刺すやつがいる。
来たな鬼!
分厚い竹落ち葉をかけ分けて見たれば、
なんと「筍」の角じゃないの。
母が角の周りを山鍬で掘る。
親竹の横根の際まで掘ると15センチほどの太った筍。
まるで生まれたての
赤ん坊のようだ。
●秋の小鬼 材シナ/油彩着色/像高30糎
むぞかねぇ可愛いい
思わず見とれていると、そやなぁ、鬼の角と言うが、これば喰う、
あたしらの方が鬼かもしれん。
あぁ、そぅや、あたしも、角隠しをして、
父ちゃんとこへ嫁入りした…
あんた鬼の子やねぇ、ふふ…
竹の節の数は な
筍の時に決まっとるんじゃと。
じゃから筍によって節の数も違うんよ。
あんたみたいなチビもおれば、タカシみたいなノッポもおる…
まぁ、人間も筍も似たようなものということじゃろ…
神さまのイタズラかねぇ、面白いことをしなさるものよ。
すっかり重くなったカゴを肩に、坂道を下りながら母は、
何だか哲学的めいた話をした。
●夏の小鬼 材シナ/油彩着色/像高30糎
今にして思うのだが
自分の生来の資質を、人笑うとも、とやかく言われようが、
竹のように撓り、笹のように受け流して、
チビでもいいから真っ直ぐに生きろ、や…
そして角は大事なアンテナ…密かに、
錆びぬように磨きなはれ!
まぁ、今風に言うならば、角とは、
そのひとのアイデンティティでもあるのだろう。
社会に出れば出る角は打たれるのが常だが、
その角をしぶとく隠しおおせるか、
これが、人生の大切な命題のひとつのような気がする。
母のおばさん哲学とは、
そういうことだったのではないか、
と今になって思う。
鬼の語源は隠ぬ…
隠れて見えぬものという説もある。
さすれば、この鬼の棲家は、はてさて何処か、
意外や人間の心の裡なる闇なのかもしれない…
確かに、ひとの心には闇がある。
もしも、この闇がなかったとしたら、
一日たりとも他人と相まみえることはできまい…
だってさぁ、心の中が透明であって、
考えることが、瞬時に、相手に見えてしまうとしたら、
ねぇ、どう思う。
心の闇は、
やはり神の配剤というものではなかろうか。
愛しきもの、
それは
心の裡の鬼である。


