こんにちは
Your Dream Guide
夜空 希来(よぞら きき)です ![]()
富士山の麓 静岡県富士市で、
姓名判断、マヤ暦などの占い、
鑑定、セッションを行なっています![]()
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2020/7/29(水)
高野山には1泊だけなので、
お昼ご飯を食べたらすぐに大門へ向かいます。
高野山の総門、大門
大門の前に立ったら、
うわぁ〜
と圧倒されます。
門に衝撃を受けるのって、私は初めて![]()
高野山大門の仁王像(金剛力士像)は、
大門のスケール感にマッチし、非常に大きく、
日本国内で奈良の東大寺の仁王像に次いで
2番目の大きさを誇るようです。
向かって右側に立つのが阿形像
その高さは546.0cm、
京都の仏師・康意が造立です。
左側に立つのが吽形像で
高さ558.0cm、
京都の仏師・運長が造立しました。
大門から壇上伽藍へ向かいます。
中門をくぐると、金堂を正面に
壇上伽藍の聖域に入ります。
壇上伽藍は弘法大師が
高野山をご開祖されたとき、
まず最初に塔や堂の建立を行った場所で、
その塔や堂の数々は、密教思想に基づき
胎蔵界曼荼羅の世界を表すと言われています。
伽藍とは梵語(サンスクリット)の
サンガ・アーラーマの音訳で、
僧侶が修行のために集う
閑静清浄な場所と言う意味だそうです。
持国天(じこくてん)
東方を護る仏教の守護神。
中門の持国天は右手に刀を持ち、
仏敵を威嚇しています。
多聞天(たもんてん)
北方を護る仏教の守護神。
中門の多聞天は右手に鉾、
左手に宝塔を持ち、
夜叉や羅刹を率いて仏法を護ります。
別名、毘沙門天とも呼ばれ、
七福神でもあり、
福徳を司る神としても信仰されています。
広目天(こうもくてん)
西方を護る仏教の守護神。
広目=遠くまで見渡す目を持ちます。
中門の広目天は右手に筆、
左手に巻物を持ち、
龍を従えて悪人を罰し、
仏心を起こさせます。
胸にとまった蝉は大きく目を見開いた気迫が、
耳で聴いても伝わるようにとの意味があります。
増長天(ぞうちょうてん)
南方を護る仏教の守護神。
中門の増長天は左手にげきを持ちます。
胸にとまったトンボは、
前へ進んで後には引かず、
断じて悪を通さないという意味があります。
金堂と根本大塔
建物の中では撮影できないので
載せることが出来ませんが、
ものすごく感動的でした。
ただ見て通り過ぎる感じではなく、
ゆっくりとこの中にいたいと思いました。
御堂の中でそんな風に感じるのは
初めてのことかもしれないです。
金堂(こんどう)
高野山開創当時「講堂」と呼ばれていた「金堂」は、
平安時代半ば頃より高野山の総本堂として
重要な役割を果たしてきた建物です。
現存する金堂は、7度目に再建されたもので
1932年(昭和7年)に完成したものです。
内部には仏師・高村光雲による
本尊・薬師如来(秘仏)が祀られており、
内壁には木村武山による壁画が描かれています。
根本大塔(こんぽんだいとう)
壇上伽藍内でも鮮やかな朱色で
一際目を引く大塔。
弘法大師と真然大徳の二代にわたり造られた
真言密教の根本道場としての象徴的建造物で
根本大塔と呼ばれています。
多宝塔様式の建造物としては
日本初の物と言われています。
内部には胎蔵界大日如来を中心とし、
周囲に金剛界四仏、16本の柱に十六大菩薩、
そして壁の四隅には密教を伝えた
八祖像が描かれおり、
堂内が立体曼荼羅となっています。
度重なる落雷等で何度も焼けましたが、
都度再建されており
現在の塔は、1934年(昭和9年)に再建されたものです。
御社(みやしろ)
壇上伽藍の西端に位置し、
810年(弘仁10年)高野山山麓の天野社より
地主神として弘法大師により勧請され
高野山の鎮守とされました。
三つの社殿より成り、
一宮には丹生明神、二宮は高野明神、
三宮は十二王子・百二十伴神が祀られています。
現在の社殿は1594年(文禄3年)に再建されたものです。
仏教の諸尊仏と日本古来よりの神との
神仏融和を大切にした
弘法大師の考えが目に見える場所です。
六角経蔵(ろっかくきょうぞう)
金堂の南西隅に位置する六角形の経蔵。
鳥羽法皇の妃であった美福門院が
鳥羽法皇の菩提を祈るため紺紙に金泥で書いた
一切経3,573巻を収める為に建立されました。
領地であった荒川の症を寄進されたことにちなみ
「荒川経蔵」と呼ばれることもあります。
経蔵の下部が回転式になっており
1回転すると一切経を1度読んだご利益があると
伝わっています。
ここを訪れたら是非回転させてご利益を頂きたい場所です。
西塔(さいとう)
弘法大師の御意志に従い
真然大徳により887年(仁和3年)に建立された西塔。
内部には金剛界大日如来と胎蔵界四仏を安置し、
金胎両部不二の深義を表すとされています。
現存する塔は、
1834年(天保5年)に再建されたもので、
高さ27.27mです。
孔雀堂(くじゃくどう)
正治元年(1199年)、
東寺長者の延杲(えんごう)は、
後鳥羽法王の御願によって、
神泉苑(しんせんえん)にて祈雨の修法を行い、
見事大願を成就されました。
その功績により高野山へ建立すべき宣旨を受け、
翌年の正治2年には本尊が奉安されました。
昭和元年(1926年)、
金堂より出火した大火によって焼失しましたが、
昭和58年(1983年)には弘法大師御入定1150年
御遠忌記念事業として再建されました。
本尊の孔雀明王像は快慶作で重要文化財に指定され、
現在は霊宝館に収められています。
准胝堂(じゅんていどう)
弘法大師が得度の儀式を行う際に
自ら造立したという本尊、准胝観音を祀る堂。
伽藍が建立された当時は
食堂に安置されていたと伝わっており、
973年(天禄4年)頃にこの堂が建立され
こちらに祀られるようになったと伝わっています。
幾度も焼失し現在の堂は
1883年(明治16年)に再建されたものです。
御影堂(みえどう)
弘法大師の持仏堂として建立されましたが、
後になって真如親王直筆の「弘法大師御影像」を
奉安したことから御影堂と名づけられました。
高野山内でも最重要な聖域とされ
堂内には限られた人しか入ることが出来ませんでしたが、
近年旧暦の3月21日に行われる「旧正御影供」の前夜、
御逮夜法会の後に外陣への一般参拝が許されるようになりました。
外陣には弘法大師の十大弟子像が掲げられています。
愛染堂(あいぜんどう)
四海静平、玉体安穏を願い後醍醐天皇の御願により
1334年(建武元年)に建立されました。
本尊として愛染明王を祀り、
愛染明王護摩と長日護摩が行われる場所です。
災害に何度か遭い再建されており、
現在の堂は1816年(文化13年)に再建されたものです。
大会堂(だいえどう)
鳥羽法皇の皇女・御辻斎院内親王が
父帝の追善のために建立された堂で、
元々別の場所からこの場所へ移された
徳川時代から大法会がある時に
まずこの堂に会して行列を整える事から
大会堂と呼ばれています。
現在の堂は、
1848年(嘉永元年)に再建されたものです。
本尊に阿弥陀如来を祀り、
脇侍に観世音菩薩と勢至菩薩が祀られています。
東塔(とうどう)
白河法皇の御願により
1127年(大治2年)に創建された塔で、
本尊に尊勝仏頂尊、脇侍として不動明王、
降三世明王の二尊が祀られています。
江戸時代に塔が再建されましたが、
1843年(天保14年)に焼失し、
その後再建されていませんでしたが、
1984年(昭和58年)に現在の塔が再建されました。
不動堂(ふどうどう)
鳥羽上皇の皇女・八條女院内親王の御願により
行勝上人が建立したとされる堂で、
元々は阿弥陀堂として使用されていました。
後に本尊に不動明王を祀り、
八大童子が奉安されたと推定されています。
この八大童子は運慶作としても有名で
現在は霊宝館に収蔵されています。
こうやくんと記念撮影![]()
御朱印いただきました![]()
壇上伽藍から
高野山真言宗 総本山金剛峯寺へ ![]()
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