今もなお続く祈りと、杉の香り
高野山を語るとき、決して外せないのが「弘法大師」空海の存在です。
774年、讃岐国(現在の香川県)に生まれた空海は、若くして唐(中国)へ渡り、
密教のすべてを受け継いで帰国しました。
816年、嵯峨天皇から高野山の地を賜り、
深い山々に八つの峰に囲まれたこの土地に、
真言密教の根本道場を開きます。
空海自身が「こここそ修行にふさわしい聖地」として選び定めた場所――それが高野山です。
「入定」― 今もなお生きて祈り続ける存在
奥の院の入口の一の橋
高野山の最も奥深い場所、奥之院には、空海が眠るとされる御廟があります。
ここで大切なのは、仏教では「入定(にゅうじょう)」という言葉が使われるという点です。
空海は835年、この地で永遠の瞑想に入りました。
それは「死」ではありません。今もなお深い禅定の中にあり、生き続けて人々を救い続けている――そう信じられているのです。
その証として、奥之院では今日でもなお、
一日二回、僧侶によって空海への食事(生身供・しょうじんぐ)が運ばれ続けています。
千二百年間、一日たりとも欠かすことなく
続けられてきたこの営みは、
単なる歴史的な儀式ではありません。
それは「今、この瞬間も、空海はそこで
瞑想し続けている」という、生きた信仰
そのものの証なのです。
参道を歩くと、樹齢数百年を超える杉の巨木が、
御廟を守るようにどこまでも続いています。
この杉たちは、空海が入定した835年よりもさらに長い時を、あるいはそれに近い時をこの地で過ごし、千二百年間続く祈りと生身供の営みを、
すぐそばでずっと見守り続けてきました。
風にそよぐ杉の梢の音、木々の間から差し込む光――そのすべてが、今もそこにある「祈りの気配」を静かに伝えてきます。
奥之院の杉は、ただの木ではありません。
空海の瞑想を千二百年間見つめ続け、
生身供の祈りをそばで聞き続けてきた、
いわば「祈りの記憶を宿した杉」です。
その杉から作られたのが、奥之院 弘法香です。
杉そのものの香りを纏うということは、
遠く離れたこの場所からでも、あの参道の空気、
今もなお続く空海の瞑想と祈りの気配に、
そっと触れることができるということ。
高野山まで足を運ばずとも、
一本の杉の香りを通して、
千二百年途切れることのなかった祈りの時間を、
日々の暮らしの中に呼び込んでいただけたら
そんな想いを込めています。
