宇太川 陽光
(うたがわ ようこ)
人生のVision
「人の能力を想像以上に」
(私も含めて❤)
2026年ミッション
1日を本気で
大切に生ききる
人を増やす活動をしています

2022年7月8日
忘れられない1日として記録を書いてみたいと思います。
話もしてみました。
この日は
夫が肺がんの告知を受けた日
私が人生はじめて「手が貧血」になった日
(手が貧血とは?身体で感じた事を言葉にした私なりの表現です。)
診察室に入り
記憶に残っているのは、
「家族にがんを罹患された方はいますか?」
と聞かれて夫は家族の状況を伝えた。
続いて
「あなたは肺がんです。ステージⅢb 転移もあり手術ではなく抗がん剤治療をして行きます。上大静脈症候群の為‥」
聴こえなくなりました
何を言っているのか?理解出来なくなりました。
最初は何が起きているのかさっぱりわからなかったが、喜怒哀楽を身体が色々な形で表現した結果
「手が貧血」になったのだろう。
この日から私は生まれ変わり新たな人生がスタートしたと言ってもおかしくない。
今日はがん告知を受けたその後について書いてみたいと思います。
毎年6月、7月が体調が悪い理由
私はその時怒っていました
「医者が確実じゃないのに肺がんかも、知れないって言って良いのか?」
「前回命に関わる病気じゃないからすぐに検査する必要は、無いって言ってたじゃないか!」
今から考えたら
お医者様に失礼な感情を持ったな〜と思ったけれど、
それだけ不安だったし、真剣だったと思う。
(この経験で怒りの裏には本当に大切な感情がある
少し落ち着いたら、何で怒りが増したんだろう?と考えてみるのは自分を知るためにおすすめです)
翌日呼吸器内科で
「肺がんです。」と言われてその日から放射線治療、翌日にCTがありました
放射線治療調整迄1度診察室から待合室に行くように言われて、「仕事どうしよう‥」と肩を落とした夫を見て、私は「今は治る時代だからまずは治療しよう。私も頑張るから」と。
その時、私は誰にも言わず覚悟しました。
この人ととにかく生きる
凄く不安で、怖くて仕方なかったけれど、泣いてる場合ではない。そう思いました。
涙が引っ込んだ感覚がありました
今4年経過してね強く思うんです。
覚悟したのは
我慢する事だった。
本当は悲しかった
本当は辛かった
本当はもの凄く怖かった
毎日、呼吸しているか?
確認する朝が続いて
こんな不安が続く毎日をどうやって過ごしたら
良いか?わからなくて毎日電車に乗ると泣けた
人生で1番衝撃を受けた時期
身体と心はそれを覚えてる
悲しみを感じ尽くす
受け止める勇気が、なかった私は
私がしっかりしなきゃ💦って
夫や親が心配するからと人のせいにして
自分の深い悲しむ不安な気持ちを握りつぶした。
握りつぶしに成功したと思った。
しかし
2026年私は
あの時、感情は感じ尽くして我慢しなければ良かったんだと思いました。
感情は押し殺してはいけない。
握りつぶさない。
無かった事にしない。
私たち夫婦の最大のピンチの時、しっかりするよりも
悲しみ、怒り、不安、全て出し尽くす、感じ尽くそうとしたら良かったと今年感じました。
でも一方で
今だからそう感じるかも知れない。
告知を受けたばかりの時は
目の前に起きている恐ろしい話は信じたくないし
しばらくは告知を受けた診察室に入るのが怖くて仕方がなかったけれど今は何ともない。
時間が癒しを与えてくれる
だけど
毎年、怖さや不安を押し殺した経験は
後になって出てくる
そして体調が悪いときほど出やすい。
だから
ありのままに過ごす事が大事なんだと。
しっかりしてなくても、夫はそのままの私を
受け止めてくれる人。
今はようやく、そう考えられるようになった。
夫の肺がん告知〜治療伴走を通して
私の人生の課題や気づきが沢山あります
大切にしたい人がいる
幸せな事かも知れないと思います
心の傷口は明確にあるけれど
それを時間をかけて解釈を深めて私が私を知ることを
継続して行きたいと思います
