昼の時間は病院内をTシャツにショートパンツで過ごしています。この病院ではリハビリ室に行くのに外来の待合を通らなければなりません。私の着ているTシャツには「NO NUKES」とか、「STAND UP FOR DEMOCRACY」「CRAC」などの文字が入ったものばかりですが、看護師などの職員や患者からも何も言われないのです。
「俺は原発賛成だ」とか「差別のどこが悪い」と食ってかかられることもなく、無知で何のことかわからないのか、こいつはこう言う考え方と達観しているのかどちらでしょう。
先日、ラジオを聞いていたら、三浦しをんさんの「舟を編む」の一節が紹介されていました。出版社の辞書編集部の定年間近な社員が自分の後任をスカウトする場面です。
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「君は、『右』を説明しろと言われたら、どうする」
「方向としての『右』ですか、思想としての『右』ですか」
「前者だ」
「そうですねえ」
馬締の首の角度が深くなった。髪の毛がもさもさ揺れる。
「『ペンや箸を使う手のほう』というと、左利きの人を無視することになりますし、『心臓のないほう』と言っても、心臓が右がわにあるひともいるそうですからね。『体を北に向けたとき、東にあたるほう』とでも説明するのが、無難ではないでしょうか」
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面白そうだったので買って読みました。
12年の本屋大賞第1位だったとか。この種のベストセラーを読むのは久しぶりでした。面白くて一気に読んでしまいました。章ごとに時間の経過と違う登場人物の視点で描写されていて分かりやすかった。
辞書の編纂に携わる人びとが、ユーモラスに描かれていました。小難しい、やや埃っぽい話を想像していましたが、良い意味肩透かしでした。
冒頭に引用した部分は辞書の編集についての予備知識として役立った。他に同性婚や女性差別のことも扱われていて著者の意識を見た思いでした。
もう一つ気になった部分は、監修者として参加している松本先生が、多くの国では国語辞典を国費をかけて編纂している、わが国はすべて「私」の資金で作られていると、この国の文化の遅れを嘆きながら、次のように語っています。
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「私も若いころは、資金がもう少し潤沢にあればと思うことがありました」
先生はテーブルの上で両手を組みあわせた。「しかしいまは、これでよかったのだと考えています」
「どういうことですか?」
「公的資金が投入されれば、内容に口出しされる可能性もないとは言えないでしょう。また、国の威信をかけるからこそ、生きた思いを伝えるツールとしてではなく、権威づけと支配の道具として、言葉が位置づけられてしまうおそれもある」
「言葉とは、言葉を扱う辞書とは、個人と権力、内的自由と公的支配の狭間という、常に危うい場所に存在するのですね」
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たまには肩のこらない本もいいものでした。
