字は体を表すというけれど。
最近の若い人(この言葉って自分がどれだけ年寄りになったか思い知らされますが)はものすごく可愛らしい文字を書く人がほとんどで、あまり当てはまらない言葉になってきているなあと感じます。
私は普段から書類によって三種類の字を書き分けるのでもっとも当てはまらない人ですから、今まで上の言葉のように「字は体を表す」なんて思ったことはなかったのですが、そこそこ長い人生を生きていて初めてこの言葉通りの人に出会いました。
その方は女性で、年齢的には私よりも上の方です。(若くないので可愛らしい文字は書きません)
彼女の字を見たときに「ちょっと乱暴な字を書く方だなあ」と思っていたんですが、彼女はとても可愛らしい人でした。
そしてその方と共に過ごすようになって、外見やしゃべり方では絶対わからなかったことが次第にわかるようになったのです。
彼女は何をさせても「雑」なのです。
動きの一つ一つが大きく、力強く、音をたてています。
彼女に渡したものはたいていボロボロになります。
彼女から渡されたものは真新しいものでも真新しく感じさせないほどよろけています。
一つひとつの動作が雑すぎて、真新しいものが彼女の手が触った途端よれよれにされるのです。
雑すぎるのです。
彼女の書く文字を初めて見たときのことを思い出しました。
「ちょっと乱暴な字」
それは彼女の行動そのものです。
いくら外見を整えても、可愛らしい口調でしゃべっても、行動がすべてを裏切り、その行動は彼女の字となって表れていたのです。
私は「字」は努力の表れだと思っています。
誰だって初めは上手く書けません。
それを努力して文字を書くことを覚えるのです。
その努力をどこでやめてしまうのか。
自分が読めればいいと思った段階でやめるのか、他人が読めても理解できるところでやめるのか、誰もが見やすいと思える字でやめるのか、誰もが美しいと思える字を書くのか。
美しい字を書く人たちは日々努力します。
知らない漢字と出会ったとき、自分の「字」にするために何度も練習して自分の納得のいく「字」にするのです。
それは漢字を覚えるということではなく「字」という一つの絵を覚えるといった感覚に近いと思います。
ですから「字は体を表す」=「その人となりを表す」というのは私の感覚の中ではありえず、字はその人の努力の結晶でしかありませんでした。
美しい字を書くこと=努力をすること、ですから、その人が努力家であることは間違いないと思いますし、それが為人であるといわれればそうかもしれませんが。
ですから「字は体を表す」という言葉がこれほど当てはまる人がいるのかと思うと驚きを隠せませんでした。
長い人生を歩んできたつもりですが、まだまだ世間知らずだったようです。
人生、死ぬまで勉強、ですね。