終戦記念日。
YON の父は15才、母は8才で終戦をむかえました。
田舎育ちのYON の両親は食べるものがない時代ではありましたが父は農家、母は食料品店育ちだったので飢えることはなく空襲にも合わなかったと聞いています。まだ恵まれていた方だったようです。
KOH ちゃんの父親は逆に大阪で育ち食べるものを求めて着物などを持って農家に頭を下げに行き散々な目に遭い農家のやつは俺は嫌いだ!などと言っていたそうです。
以前にデイサービスでアルバイトしていた時には戦争経験者の大先輩から色々な話を聞きました。
敗戦後中国から中国人のふりをして引き上げて来た方の道中の話。
レイテ島(フィリピンの激戦地)で看護師さんをしていた方の話。
進駐軍で働いた方の話。
中でもサイパンに家族で移住していた山下さんの話は忘れられません。
アメリカ軍が上陸してきて現地で逃げ惑った話です。
山下さんは3才だったそうです。開拓民としての家族での移住だったようです。
私3才だったけどあの時の記憶だけははっきりあるのよ。
家族の目の前で死んだ山下さんのお父さん。
お母さんと山下さん、山下さんの下に二人のまだ小さな弟妹。お母さんは2人の幼児と産まれたばかりの赤ちゃんを連れて逃げました。
死体を踏みつけて歩いたんよ。踏みつけないと進めないから。
とある洞穴にたどり着くと中に沢山の人がいたそうです。
赤ちゃん泣くでしょ。そしたらね。泣かすな!泣くなら殺せ殺せって言われるんよ。
だからね仕方ないからお母さんは私たち連れて外に出たのよ。
崖の上にたどり着いてお母さんはそこから飛び降りようとしたそうです。
弟がものすごく怖がって泣いて泣いて、、それで飛び降りなかったんよ。
バンザイクリフと言われた所だったのでしょうか。
その後山下さんたちはアメリカ軍の捕虜になったそうです。
そしたらね。
アメリカの軍人さんは物凄く優しかったの。
2年か3年そこで暮らすうちに山下さんは日本語を忘れたそうです。
日本に帰って親戚のお姉さんに忘れた日本語を習ったの。
そして覚えた英語は全て忘れたそうです。
送迎の途中に二人きりになるので山下さんが話してくれたことです。記憶がどこまで本当か真相や詳細はわかりませんが壮絶な話をあまりに山下さんが淡々と語るので逆に涙がでそうになったのを運転しながら我慢した覚えがあります。
路地の奥にあった山下さんのおうち。路地に車は入れないので手前に停めます。玄関先まで付き添って歩きます。おうちに上がってくださいと言ってもYON が車に戻り発進するまで玄関口で立って見送ってくれた山下さん。
山下さんは障がいをお持ちの息子さんとご主人と3人で暮らされてました。
性格いい子なんよ。
身体の弱ってきた山下さん。
車の中で息子さんの将来の事を気にされている内容の話をしてくれた日もありました。
その時は淡々とではなくご心配が伝わってきました。
終戦記念日に因み第二次世界大戦をテーマにしたドキュメンタリーやドラマが放送されてますね。
戦争のドキュメンタリー番組を見てて山下さんを思い出しました。
台風巣籠もり。
平和祈願。
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