母の葬儀も終わりました。


84歳でした。


人生を全う出来たんだと思います。


高齢者の旅立ちは涙だけではありません。

明るく送り出したい気持ちも悲しみと同じだけあります。


葬儀もお別れの寂しさと同時に

よく頑張ったね。

今迄ありがとう。

良い人生だったね。

と感謝と労いの気持ちもあります。


旦那さんを若くで亡くされた方が親御さんの介護をされていて

「家族を亡くすのも年齢によって感じ方は違うんだよね、、」

と言ってました。


本当にその通りだと思います。


順番というものもあります。


特別仲良し親子でもなかったし特別親孝行娘でもなかった。何かしらこうあるべき!こうしなさい!と自分の価値観を変えない母に反発する気持ちも以前はありました。


でも思い出すのは病院でYONの手を握って離さない母。

そして幼い頃に過ごした昭和40年代の社宅アパートの生活。

小さな姉妹たちと若かった父母。

ずっと母が繰り返し話をしていた母の故郷の風景。



葬儀は号泣の時間もあり、

親族で想い出話で盛り上がる時間もあり

久しぶりの叔母や従兄弟に会えたりの時間でもありました。


父が母に

「おおーい。おかあさーん。おかあさん。」

呼び掛け涙する姿に貰い泣きしたり

その耳の遠い父のとんちんかん受け答えや言い間違えで逆に和んだり。


おじいちゃん「お母さんさっき湯せんしてもらっただろ?」

湯灌(ゆかん)だよ、、、

バターじゃないんだから、、、




湯灌、お化粧、納棺を担当して下さった女性の所作が素晴らしくそして心が込もっていることが感じられて涙が溢れて止まりませんでした。

母の着物の中から父が選んだ淡緑の着物。着付けをして貰いました。帯も締めて帯締めも、帯揚げも。

丁寧に丁寧に。




喪主の挨拶を父がしました。

3分位で、、と進行役の女性に伝えられていました。

真顔「後のお別れの時間が取れなくなりますので、、出棺のお時間は変えられませんので、、」


父の話は案の定長くなります。

YONが耳元で

「お父さんそろそろ、、」


皆がやっぱりなぁー笑

となってるのも親族の集まりならではです。

こじんまりと家族葬です。

おじいちゃん母と連れ添った年数を49年て言ってたけど10年足りなかったよ?


数字はとんちんかんだったけど訥々と語る父の話はとても良かったです。


子供や孫に恵まれた事を誇りに思ってくれている様でした。


妹の旦那さんが

もうちょっと聞きたかったなあー!

父と母の馴れ初めあたり!


聞きたかったけど斎場で昼食後に疲れはてて父はソファーで寝てしまいました。


これからは父の見守りと見送るまでのお世話が必要です。



グループホームに母の荷物を取りに行きました。

毎日通ったグループホーム。

入り口自動ドアをくぐると泣けてきました。

いつものように車椅子を押されて母が現れる気がしました。


ありがとうねー

ごめんねえ。


どうしたらいいのかわからない。

何をしたらいいんですか?

どこに行くの?

あなた居てくれたのねえ。

一緒に居てねえ。

娘のYONに向かって

◎◎です。

と自分の名字を名乗っていた母。

でも最後までYONの事は分かってくれていました。

分かると言うより感じてくれていました。




コロナの事はわからないのでビニールを払いのけようとする母。

融通きかせてもらい手を繋がせて貰った日もありました。


亡くなる前日にはコロナ第7波の影響で直接面会禁止になりました。

最後の直接面会には叔母(母の妹)と一緒でした。

叔母は

本当にあの日に会えて良かった、、と。


前日はリモート面会。



最後の言葉は


ありがとうね

ごめんねえ、、


お母さんなんで謝まるん?

謝らなくていいんだよ。

何も悪いことしてないんよ。

YONの台詞もいつも同じ。



何をしてあげられたんだろう?

何をしてあげられなかったんだろう?


見送った家族は皆がそう思うのかもしれません。



持って帰った荷物に入ってた母の櫛。

白髪が絡まってました。

時々グループホームのスタッフさんに可愛らしく編み込みして貰ってた母。

また涙が止まりません。


折に触れて涙が流れるってこう言う事なんだなあと思いました。


ご飯もちゃんと食べてます。

夜も寝ています。

大丈夫です。


でも時折涙が出ます。


5月の末に脳梗塞で倒れるまではとても元気だった母。


倒れる直前にはGWにはひ孫たちと楽しいBBQ


倒れてからは介護の毎日。


ずっと母と過ごしたひとつきあまり。


施設に入所してからは毎日会いに行きました。


一時帰宅で10日前には姉妹4人が揃い3日間を過ごしました。


あっという間に旅立った母。


お昼まで普通に過ごしてその日の夕方に亡くなりました。


何か全てが整えられたかのよう。


大変だった連日の病院の付き添いも自宅での介護も今から思ったら与えて貰った母との時間だったのかなと思う位です。


おじいちゃん(父)

おじいちゃん「あの坊さんは全然声が出とらんじゃないか」


キョロキョロ違うよー!お父さんの耳が聞こえてないねん!



でも


ツッコミもいつまでも出来無いんだ、、


今日と明日は違うから今日1日を大事に。

そしていつも人と別れるときに良い言葉で別れたいと思います。



人生を生き抜かれて新しいステージへと旅立った方々のご冥福をお祈りします。

そして大切なご家族を見送られた全ての方の心が癒される事を願います。



2022年 5月3日
父母とひ孫   実家にて



お読み下さりありがとうございました。


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