認知症のYONの母の話はいつも同じです。
福岡の炭鉱町で育った母。実家は町で一軒の食料品店で酒屋でもありました。そこで過ごした子ども時代の話が殆どです。
YONが幼い頃に母に連れられて里帰りした頃はまだ活気のあったお店です。9人兄妹の真ん中だった母。父親を早く亡くし年の離れたお兄さんと母親(YONの祖母)がそのお店を切り盛りしていました。
お店には使用人の男の人やお手伝いさんたちが出入りして活気がありました。(昔のことで従業員なんて言うよりこの方がぴったり来ます)
母の兄(YONの叔父)は皆に大将と呼ばれてました。渥美清に似た恰幅のいい顔の大きな叔父さんです。紺の前掛けをキリッとかけた声の大きな大将は子ども心にも頼もしく格好よく見えました。
田舎町を従姉妹と歩くと
あら◎◎商店のさっちゃんとこの娘さんとね?
なんて声をかけられたりもしました。
◎◎商店はこの辺では誰でも知ってるお店なのです。
母のちょっとお嬢さんチックな所はこの辺りから来ている様です。
戦争中、警戒警報が出るとすぐに家に帰らないとならないので勉強などしていないと言う話。
食料品店で配給を配る側だったので自分たちはまだましな方だったが食べるものも乏しく貧しい時代だった。お弁当を持ってこれない同級生も居たのよ。今考えたら可哀想な話なのよ、
と言う話。
小学校二年で終戦になり進駐軍が学校に来ると言うので先生に言われるまま教科書を墨で塗りつぶした話。
あんな子供の教科書に何も書いてないと思うんだけどねぇ。
近所の藁葺きの家が火事になり怖かった話。
火消しで屋根に登った叔父さんが頼もしく見えたもんよ。
お店に酒飲みが来ると嫌だった話。
酒飲みは一滴でもこぼさない様に顔升に近づけて飲むのよねぇ。
珍しい果物なんか並べてると来る人来る人が
これはなんね?と触るのでぐちゃぐちゃになった話。
何パターンかありますがいつも出だしから終わりまで台詞もほぼ同じです。
耳のタコが、、、
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たこ祭り![]()
そんな母が少し前にこんな事を言い出しました。
YONの実家の道を挟んで北側のお向かいさん。
雛壇なのでお向かいさんの方がかなり高い所に建ってます。
「あの家は何かヘンなのよ。」
ん
今の話は珍しい![]()
いつも半分寝ながら聞いてる母の話。
ちょっと目が覚めます。
「雨戸がずっと閉まったままでしょ?!」
もうこの辺りの住宅街も開発されて50年位になります。お向かいさんはその時の建て売り住宅の平屋のまま放置されています。庭も手入れしている様子はありません。
「ずっと前は借りてた人が住んでたけどね。今はその奥さんは別のマンションに住んでるのよ。」
母の話をまとめると
向かいのご夫婦は旦那さんだけずっと以前から姿が見えない。奥さんは別のマンションに住んでて時々庭に洗濯物だけを庭に干しに来る。家賃を払ってるのに家は使ってない!おかしい。
「お母さんはね、、あの家に旦那さんが隠されてるんじゃないかって考えたりするのよ、、だってへんじゃない!?」
か、か、隠されてる??って
サスペンスやん、、![]()
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そこにどんな住人が居たのか全く覚えのないYON。
母はたまにその奥さんを見かけても話をすることは無いと言います。
荒れ果てたまま雨戸の閉まった平屋は確かに不気味、、。
「え~~!?そんな訳無いやろ~へんな事言わんといてー。気持ち悪いやん。」
母の記憶は行ったり来たり、見かけた!とか知ってる!とか本当の話かいつの話かは定かでありません。
先日実家を訪ねると、、、
その向かいのおうちが解体されてました。
そして今更地になってます。
行方不明の?旦那さんは出て来なかった様です![]()
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サスペンスじゃなかったね、、、
「今度はどんな家が建つかなぁ?」
「次にYONが来るときにはもう建ってるんじゃない?今の家はすぐ建つのよ。」
え、?明後日来るけどね?
物忘れ外来で先生に
「娘さんはどれくらい来てくれてるの?」
と聞かれ
「そうですねぇ。月に一回位は来てるかしらねぇ?」
と答えた母。
なんでやね~ん!!![]()
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月に10回位行ってるよ![]()
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