という言葉に身につまされる感覚になる
「やりがい」とか「すていたす」とか
なんかどこか自分探しでちっさい誇り探しで
「生きていくために君は働くんだ」
ということをついわすれて
なんだか変な迷いや悩みでふわっとしている。
そりゃ、かっこいい仕事とか
あこがれる肩がきってあるもんね。
それで食えりゃいいけれど
現実そんなに甘くはない
仕事を選ぶっていうのは
単なる甘えだよなあ~と自分に言い聞かせる。
雑用でも、端役でも、
使ってもらえる自分をありがたく思って
お仕事させていただく。
よくさ、ここではないどこか、ってのを
探しがちになるじゃない?
けどそれは、ほぼ視野が狭いだけのことがおおくて
永遠の隣の芝生だったりするんだ。
だから、「そういう仕事はちょっと~」なんて
いいかけたときに、
「おいおい、おまえさんごときのどの辺が
そういう仕事って偏見持つんだい?
おまえさんはそういう仕事ってやつの
なにを知ったかぶりしていっているんだい?」
自分のおごり高ぶりに問いただせばい。
そして根本を思い出せばいい。
「あ、明日ごはん食べるために働いてるんだから
稼ぐことが目的なんだ」
生きてることがどこかふわふわしているのは
とても残念なことのような気がしてならない。

仕事ってもっとストイックなものだ。
責任をもつものだ。
仕事に夢ややりがいを求める前に
生きていくためだということを思い出そう。