2014.12.27(Sat)の八丈島観光
こんばんは♪
本日2回目の投稿です。。。
八丈島記の続きをご紹介させていただきます。
今日も暖かい一日でしたね~来週はまた冬逆戻りらしいので、冬物はもう少し置いておかないとね。
ふるさと村から少し進んでいきたかった場所♡
そして、どこのお城にもあるのですが、
各大名の名前が彫られたりしている石を発見。
こういうの探すの好きです♪
こちらも目的だった
宇喜多秀家の墓
宇喜多秀家(1572~1655)は戦国の謀略の武将として名高い岡山城主宇喜多直家(なおいえ)の次男として生まれました。
直家の死後は秀家の母お福の方(美人で名高かった)が秀吉に愛されるようになり、
秀家は豊臣秀吉の猶子(ゆうし・養子に近い関係)となった。
養子となっていた前田利家の娘・豪(ごう)と結婚します。
こんばんは♪
本日2回目の投稿です。。。
八丈島記の続きをご紹介させていただきます。
今日も暖かい一日でしたね~来週はまた冬逆戻りらしいので、冬物はもう少し置いておかないとね。
ふるさと村から少し進んでいきたかった場所♡

玉石垣
本当に綺麗に並んでいる丸くなった石が塀を作っています。
ふるさと村の入り口も玉石垣作りでしたね。
そして、どこのお城にもあるのですが、
各大名の名前が彫られたりしている石を発見。
こういうの探すの好きです♪
こちらも目的だった
宇喜多秀家の墓
宇喜多秀家(1572~1655)は戦国の謀略の武将として名高い岡山城主宇喜多直家(なおいえ)の次男として生まれました。
直家の死後は秀家の母お福の方(美人で名高かった)が秀吉に愛されるようになり、
秀家は豊臣秀吉の猶子(ゆうし・養子に近い関係)となった。
養子となっていた前田利家の娘・豪(ごう)と結婚します。
秀家は朝鮮の役の総帥となり、その活躍により備前(びぜん)・美作(みまさか)57万石の岡山城主と
なりました。そして豊臣五大老の一人となりましたが、関ヶ原の合戦では奮戦むなしく敗軍の将となり、
九州の島津家に2年余り逃れ、久能山に2年間幽閉された後、慶長11(1606)年、34才で八丈島に流さ
れました。その時、秀家には二人の息子とともに家来や下男・下女を10名が従がってきたそうです。
その後、秀家は50年の間、流人ということで凡俗を装って月日を過ごし明暦元(1655)年に83才で没し
ます。秀家の死後一族は、秀家の妻・豪姫の実家である加賀前田家の支援を受けながら、子孫を繁栄
させ明治2年(1868)にようやく赦免された時には宇喜田、浮田、喜田など20家が存続していました。
今でも島内には浮田、喜田の名字を持つ方が多く住んでいるそうです。
秀家は朝鮮の役の総帥となり、その活躍により備前(びぜん)・美作(みまさか)57万石の岡山城主と
なりました。そして豊臣五大老の一人となりましたが、関ヶ原の合戦では奮戦むなしく敗軍の将となり、
九州の島津家に2年余り逃れ、久能山に2年間幽閉された後、慶長11(1606)年、34才で八丈島に流さ
れました。その時、秀家には二人の息子とともに家来や下男・下女を10名が従がってきたそうです。

次は地熱発電所
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こちらも見学したら、キーホルダーを作ることができて面白かったです♪
これから、景色のいいところや温泉に行きます。
これから、景色のいいところや温泉に行きます。

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