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ご訪問ありがとうございます。

​一般社団法人八百万
代表理事 妃谷朱理 ひめたにしゅり
(旧 立川ルリ子)です。

故人に慎んでご冥福をお祈り
申し上げます。




ショッキングな報道や
とても胸が痛む出来事があった時
事実や真相は何かということを突き止めることが
必要ではない時があると感じています。


本当に何があったのかということは
どんな事においても
当人にしかわからないことも多い。


私は
数年前にとてもとても大切な人を
亡くす体験をしました。


それは事件として報道されて
その報道は全てが捏造だった。


同じような過去の事件から
憶測で話した人の話が
さも、本当のことのように取り上げられていた。
そして、その報道を見た人の殆どが
それを信じた。


報道に対して憶測を展開するのは
さらに物語を展開させて拗らせていきます。


つまり、報道する人も憶測で話す人も
それを信じる人も同じだなと感じたのです。


善悪や正義を説きたいわけでなく
同じエネルギーだという意味です。


私は
大切なことはどんな出来事に対しても
自分の内側に何を感じたのか…
だと思う。


恐れを感じたなら
自分の中の恐怖を映し出した出来事。


疑いが湧いたなら
そもそもその人を信じていなかったから
やっぱりね、となった出来事。


怒りを感じたのなら
自分が大切にされてないと思うことが
日頃からあるのでしょう。


悲しみやショックを感じたのなら
その人に愛着があったということ。


絶望を感じたのなら
自分のアイデンティティの一部だったということ。


他にも色々な感じるものがあるはず。


こうして
自分の中に何を感じたのかを
しっかりと自分で受け止めてあげること。


ちゃんと恐れて
そもそも疑いがあったことを受け止めて
怒りを心底感じて
心から悲しんで
絶望感に浸ること。


そうすることで
全て自分の中に答えを見つけることができるし
自分にとっての
真実が見えてくることもある。


ネガティブを感じないことが
素晴らしいことだという風潮があるけど
感じないようにすることと
感じなくなることとは大きな違いがあるよね。


自分の感情を受け止めきれない時
その矛先をどこかに持っていこうとする…
これは自然な反応なのだと思う。


受け止めてくれる人を探すかもしれないし
同じ意見を求めるかもしれない。


私は自分の中にネガティブな感情が起きた時
反応的に動こうとする自分にストップをかけて


自分がまず、全ての感情を受け止めてから
その結果、見えてきた自分の中の
真実や確信から
どうするかを決める…という風に整理します。


時にそれでも、感情に飲み込まれてしまって
どうしようもなく渦中から抜けられない時だけ
抜けられないから助けて欲しいと伝えます。


自分の中に呪文のようにはびこる概念を
「それは間違っている」と
何度でも伝えてもらうためです。


その概念は自分の中に創り出してしまった
呪文のような概念です。


どうしようもなく渦中なのか
それとも
自分で感情処理を放棄しているのか。


そこをしっかりと見極める必要がありますね。


弱さのない人はいない。
1人もいない。


人生には、信じられないような
さまざまな出来事が起こるし


自分にとって
本当に心の痛む体験もたくさんある。


後悔することも懺悔することもたくさんある。
きっと、私は人一倍ある。


だけど、その度、そのひとつひとつに
大切に向き合って自分の感じることを
ちゃんと受け止められるたびに


強くはなることはできなくても
優しくなれるのでないかな、と思うのです。