昭和くずもち! | くずもち日記| 創業昭和30年 伝統の江戸久寿餅 山信三代目 小山信太郎

昭和くずもち!

敗戦後

GHQの小麦政策により

日本が一気に変わりました。

 

戦後

食糧不足でした

 

アメリカの小麦と脱脂粉乳で

学校給食がスタート

多くの

子供たちを救いましたが

 

アメリカは

自国の余剰の小麦のはけ口

また

将来の小麦の客を育成する戦略により

見事にその効果が表れました。

日本に

関東に小麦農家もあったそうですが

アメリカから買わされる小麦で

充分な量、また価格も安かったため

 

日本の農家は近年まで

小麦を作っておりませんでした。



そのおかげで

輸入に頼り

 

自給率が下がったのです

 

戦後

パン、うどん

そして

麩が普及し

麩(グルテン)の副産物のデンプンが

久寿餅になる話もしました

麩屋が増え

でんぷんは当時

表具の糊として

使われ

発酵したデンプンは

くっつきがよく

はがれもいいという

古糊となり

現在も使われております

 

それに

久寿餅屋も増えていきました

都内では

麩屋が久寿餅を作ったり
=

麩菓子屋が久寿餅をつくったり

 

寒天、

こんにゃくを

つくるところが久寿餅を作ったり

 

幅が広がっていったのです。

 

くずもち組合が

昭和の時代ありました

 

それによると

都内に52軒の久寿餅製造しているところがありました。

 

戦争経験者の方々が亡くなり始めた平成に入るころから

麩を食べる人も減りました。

 

そして

昭和に

小麦や牛乳、卵を使う洋菓子が、

どんどんできてきて

 

和菓子は、どんどん衰退へ

 

久寿餅は

発酵させます。

 

発酵期間

1年以上お金にならないなら

美味しい商売ではなくなります。

わらびもちが

平成になり

西から

入ってきました。

わらびの根を

粉末に

 

粉と水を混ぜると簡単にできる

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久寿餅のように

年寝かし

5日間

水洗いし

臭いを取ってから蒸すより

 

わらびもちが

作りやすいため

 

菓子屋も

久寿餅を作るのをやめていきまして

 

都内

いま

きちんと久寿餅を製造しているのは

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6軒くらいとなってしまいました。

 

わらびもちが入ってきたことで

変わったことがございますので

それは

また明日

お話させていただきます

 

 

久寿餅

食べてみたいなと

いう方は

是非

https://item.rakuten.co.jp/edokuzumochi/kuzumochi-03/

楽天市場店か

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2周年を迎えた

日本橋高島屋新館店まで

御足労ください

 

工場直売

火曜日12時から17時

土曜日11時から17時

 

金曜日

11時から20時まで

船堀駅催事販売しております

 

是非ご来店ください!!

お待ちしております!