暮れなずむ夏の日


八月も終わりとは云え、日中の暑さは尋常ではなく、
秋の訪れには、ほど遠い感がする。
そんな日々、黄昏(たそがれ)時になると、暮れなずんでいく空だけは、
いち早く、秋の訪れを予見するかのような、茜(あかね)色で西の空を染めはじめる。

その微妙な空色の変貌は、
一見すると今までの夏空と何ら変わりなくも見えるほどなのだが、
写真に撮るとその変わり行くさまがとてもよくわかる。
そのことは、それが写真に如実に現れると云うより、
写真を撮ると云う行為を通して、
空を注視したことによる仔細な発見であって、
写真がそれを教えてくれるわけではない。
写真を撮りつづけていると、
光が、ものの色を微妙に変えるそのことに、敏感になっていくようである。
草花が季節の移り変わりを伝えてくれるのは、その目に一目瞭然であるが、
空色は、年中、一日一日、刻一刻と変わりつづけている。

してみると、空を見上げ眺めるのも意味あることなのかもしれない。
人の心も空に似て、日々微妙に変わりつづける。
すると、浮かんできたのがこの言葉である。

「我が心石にあらず、転ずべからず」

詩経の中の有名な一節であるが、「転ずべからず」の一言が非常に強いので、
その解釈には、諸説生まれてきたようであるが、
わたしは、わたしなりにこんなふうに解釈している。

昨日正しいと思っていたことが、
今日誤りであったと気づけば、修正すればよいだけのこと。
自分の信念とするところは曲げず、あくまでそれを貫くべきではあるが、
偏狭に、ただ自説に固執することは、判断を曇らせることがある。
その使い分けこそが肝要だと思える。

空を見上げる、それは、ただひとえに、
ひとりの自分と素直に対峙する瞬間でもあるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「だんだん」は、出雲地方独特の方言で、ありがとうの意です。

 

 

 

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