現在、パソコンのファイルの整理をしていまして、直ぐにブログにアップしておかないと存在を忘れてしまいそうな画像を幾つか見付けてしまいました。
今回は、この地図↓について書いてみますが、何故、亀旨峰―久米神社―宮崎神宮のラインに気付いたのかは、すっかり忘れてしまいました。
宮崎神宮は、宮崎で学んでいた幼馴染に誘ってもらって観光し、その際に参拝したことと、藤棚が見事だったことは20年以上前になったのに覚ているのですが・・・。
1、亀旨峰(クジボン) 韓国の慶尚南道金海市亀山洞
2、久米神社 福岡県糸島市志摩野北3262
3、宮崎神宮 宮崎県宮崎市神宮2丁目4−1
亀旨峰と宮崎神宮との間の真ん中に、 久米神社が座しています。
亀旨峰(クジボン)は、首露王 - Wikipedia によると、
首露王(しゅろおう、수로왕)は、金官加羅国の始祖と伝えられている古代朝鮮半島の王で、金海金氏の始祖。首露王は158年間国を治めたとも伝えられている。妃は阿踰陀(あゆだ)国の王女と伝わる許黄玉。阿踰陀国についてはインド、タイ、中国、日本などの説あるが、インドのアヨーディヤーが最有力である。伝説ではクジボン(クジの岳)に降臨したという。
(後略 引用終わり)
久米神社は、来目皇子が祀られている神社です。
来目皇子 - Wikipedia の「略歴」によると、
推古天皇10年(602年)2月に任那を滅ぼした新羅に対する新羅征討計画が立てられた際、征新羅大将軍として軍25,000を授けられる。4月に軍を率いて筑紫国に至り、島郡に屯営したが、6月に病を得て新羅への進軍を延期とした。征討を果たせぬまま、翌推古天皇11年(603年)2月4日に筑紫にて薨去。
(後略 引用終わり)
そして、宮崎神宮 - Wikipedia の「由緒」には、
社伝によれば、鎮座地は神武天皇が東征以前に宮を営んだ地で、後に九州に下向してきた皇孫の建磐龍命(阿蘇神社の祭神)がその縁にちなんで創祀したといい、崇神天皇の時代に初めて社殿が創建され、景行天皇の熊襲征討に際して重ねて造営がなされ、さらに応神天皇の時代からは『国造本紀』に載せる日向国造の祖、老男命(おいおのみこと)が祀るようになったと伝える。
(後略 引用終わり)
とあります。
一見、なんの関係も無さそうなのですが、久米神社と、日向峠( 福岡県福岡市西区羽根戸)と、阿蘇神社(熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1)は、直線上に並んでいます。
そして、そのラインを延長すると、日本と朝鮮の境目の島である対馬へと向かいます。
天孫降臨ーー筑紫の日向は「ひゅうが」か「ひなた」か? もう一つの歴史教科書問題 (tosalog.com) には、次のように書かれています。
ニニギノミコトが降り立ったという天孫降臨の地はどこだろうか。通説では九州の日向(今の宮崎県)の高千穂のクジフル嶺(たけ)、あるいは霧島山とされている。また『古事記小事典 古代の真相を探る』は薩摩半島笠沙町や筑紫(福岡県)の日向峠等へ降り立ったとする説なども紹介している。
専門家は天孫降臨を単なる神話と見る向きもあって、正面から歴史研究の対象とされることは少なかった。これに対して、古田武彦氏は『盗まれた神話』(昭和54年)で、学問の研究対象として取り上げ、筑紫(福岡県)の日向峠へ降り立ったとする天孫降臨の真相を解き明かしたのであった。
(後略 引用終わり)
こちらの最新の記事『奈良新聞』に「九州王朝説」の紹介記事 もう一つの歴史教科書問題 (tosalog.com)でも、筑紫(福岡県)の日向について書かれています。
天孫降臨の地が何処であるかということについては、古代史に対して真剣に取り組んでいる方々が記されているものを読まれた方がいいので、私が書くのは此処までにしておきます。
ただ、金海(キメ)の亀旨峰(クジボン)―久米神社―宮崎神宮のラインを見付けた理由を付け加えるならば、多分、きみょうな久米氏についての妄想 | 久米の子の部屋 (hama-sush-jp.pro) に書いたように、「久米氏」を「きみょうじ」と読ませる地名が香川県丸亀市にあることと関係しているのだと思います。
それから、久米神社について学ばせて頂いたページを貼っておきます。
ありがとうございました。

