続いて、岩橋家。

こちらは、明治の大火を免れた建物の1つなんだそうです。

 

 

この辺りの住宅は、茅葺屋根が主流だったそうなんですが、

岩橋家は、その当時、木羽葺きになっていたため、延焼しなかったのではと、

火事以降は、周囲の家も木羽葺きが主流になったのだとか。

 

 

な~んてことよりも、この大きな懸魚(けぎょ)に目を奪われました。 面白い形~!!

 

こちらは、家の外側から、ぐるっと一周見て回れるようになっていました。

 

 

こちらの岩橋家は、会津からの芦名(あしな)氏の譜代の家臣だったのですが、

芦名氏断絶後、所預(ところあずかり)となった佐竹北家の組下になったのだそうです。

あの時代、現代の私達には想像がつかない、生き辛さもあったのでしょうね。

 

 

 

こちらは、色々見学ができる「青柳家」。

なんと、350年前からここに屋敷を構えている家なのだそう。広さ3,000坪。
350年前・・・1669年、江戸時代ですよ。ひゃー。色々びっくり。


人が沢山立つ門は、薬医門。万延元(1860)年の矢板があるそうで、

母屋も恐らく同時期に建て替えられたのではと考えられているそうです。

 

 

こちらの懸魚(けぎょ)も、品があって素敵なデザイン。

 

 

中は母屋の一部を見学した先は、武器蔵。
これまで訪ねた、古い武家屋敷の中でも、ダントツの展示数でした。

青柳家も、元は芦屋氏の譜代だったけれど、断絶後、佐竹北家で納戸役を

つとめ、明治時代からは、地主となり、百町歩におよぶ田畑を持っていたとか。

 

 

日本刀を試しに持ってみる体験もできるようになってて、私も持ってみましたが、

展示品は、私が想像していたのよりは軽かったです。
ただ、まー、これを腰につけて歩き回ったり、走ったり・・・は、無理だろうな~。

 

 

そして、なんと、「解体新書」の展示が。。。

 

 

どうして?と思ってたら、こちらの挿絵を描いたのが、角館出身の小田野直武

だったそうなのです。

 

 

家へ帰ってきて、録画していた「英雄たちの選択」の解体新書の回を観てみたら、

手に入れた洋書の図をそのまま印刷する技術がなく、でも、玄白たちはどうしても

図をつけたいと思い、平賀源内に絵を学んでいた小田野が描くことになったそうです。

 

 

邸内には、武家道具館や、ハイカラ館など、展示が色々ありました。

ダンナにせかされて、駆け足でしたが・・・。

 

 

ハイカラ館には、古い蓄音機やカメラが沢山展示されていました。

 

そして・・・

 

懐かしいビクターのワンコも。
この音楽に耳を傾けてるかのようなポーズが昔から好きなんです~。

ケンウッドと合併して、すっかり見なくなっていましたので、ちょっと気分は、

「きゃ~、久しぶり~!」と、懐かしい友達に会えたような気分になりました。

 

 

帰りの出口近くで公開されていた一室。

 

 

小さいお部屋でしたが、細かいところまで手の込んだお部屋になっていました。

 

 

続きます。