こちらは、佐倉順天堂記念館です。

順天堂といったら、御茶ノ水かと思ってたんですが、実はここから始まってたんですね~。

全然知りませんでした。

 

近代日本医学史に、「日新医学は、佐倉の林中よりおこる」と書かれている淵源の1つが

佐倉藩主 堀田正睦氏で、洋学の受け入れに熱心だったため、藩医を長崎へ進学させたり、

1843年には江戸で和田塾という蘭学塾を開いていた佐藤泰然氏を招聘したのだそうです。

 

 

泰然は、堀田氏の用意した旧那須邸に、病院兼私塾を開き、医師 山田安朴氏の提案で

順天(=「天の道に従う」という意味)堂と名付けたのだとか。へぇ~。

1858年に、現在の記念館の場所へ移転し、優秀な弟子だった尚中が跡を継いだのち、御茶ノ水に、

順天堂大学の前身となった「順天堂医院」を開いたそうです。

 

 

佐倉のこの場所は、昭和27年まで、県内有数の病院として続いたあと、

「佐倉順天堂記念館」として保存されることになったとか。

 

 

中には、色々展示されていましたが、私のような古い建物の見学・・・という点では、あまり

楽しめる部分がありませんでした。残念。

 

 

 

次にやってきたのは、県立佐倉高等学校です。

 

 

佐倉の藩主だった堀田家は、学問所を開設して、学問を奨励していたそうで、明治になり、

県立中学校を移管しようとしたものの資金難だった時も、堀田家から校舎建設資金として4万円、

敷地購入費として2千円が寄付されて建てられた校舎がこちらなのだそうです。

 

 

これまで見学してきた擬洋風の校舎に比べたら、割とシンプルな外観でした。
設計は、後に鉄道省初代建設課長となった久野節と、後藤政二郎、竹川駒次郎、

工事請負人に島崎留次郎の名前が記録されているそうです。

 

 

今は、高校の施設として利用されているため、中の見学はできなくなっていました。

ここには、日本最初の蘭和辞書「ハルマ」が保存されていたそうですが、

今は同じ敷地内の地域交流施設に保管されているとか。
他にも、佐倉藩が所蔵していた蘭学書や儒学書などが「鹿山文庫」として保管されて

いるそうです。


佐倉さんぽのご紹介はここまでになります♪