和田家文書の中から、面白いと思ったものを私なりに現代語訳して紹介しています。
前回はマヤ遺跡を巡った火内彦次郎の「アカプルコ報告書」でした。
今回は遣欧船サンファンバウティスタ号のモデルとなった安東船についての段です。
伊達政宗が(サンフアンパプチスタ号の造船)頭領として秋田実季の家臣・火内彦次郎貞盛を選んだ理由は、もともと先代から安東船の京役管領船奉行(京都へ上る船の取締役)で檜山城能代湊船検審(船の検査役❓)だったからでした。遣欧船の造船は彼の造船図によって進められました。
安東船は幻の船とも言われますが、その造り方には詳しい図面があり、釘一本たりとも間違えず正しく組み上げれば、たちどころにその骨格をなすのでした。
ヨーロッパまで行き来する荒覇吐丸(安東船)もそのようにして作られた船ですが、もともとはアラビア船型を用いて造られたものでした。
政宗はこれを満足として、向井将監を訪欧団に加えました。
船方衆には土崎衆、能代衆、気仙衆、松島衆のみを乗せ、他には乗せませんでした。
文政5年6月1日 和田長三郎
(和田家文書コレクション 丑寅風土記 第全六ノ六より)
向井将監はWikipediaによると「江戸幕府2代将軍 徳川秀忠に仕え、大阪冬の陣では水軍の将として参戦。徳川家光の命により江戸幕府最大の安宅丸を建造。」とありました。
サンファンバウティスタ号の出航当時、向井将監は31歳、伊達政宗は46歳です。伊達政宗は向井将監に技術を学ばせようと遣欧船に乗せたのですね☺️
火内彦次郎の出自は檜山城能代湊だったんですね。能代は青森県と秋田県の県境付近でスギやヒバなど良質な木材の産地です。彼は木の性質など熟知していたのではないでしょうか。
遣欧船には安東船の造船や航海のノウハウがふんだんに取り入れられていたんですね。
そして安東船のベースはアラビア船だったとは❗️
今回もちょっと難しかったんで、訳が間違ってたら本当にごめんなさい🙏
まだ続きます。どうぞお付き合いください。
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