和田家文書の中から面白いと思ったものを紹介しています。

平將門①〜④のつづきです。


前回の投稿で、「次回は秋田生保内の楓姫について」とご案内したのですが、「辰子」の間違いでした🙇‍♀️


蘇我蝦夷が国記・天皇記を秘蔵した神像。

秘蔵のことを知らずに持っていた平將門。

朝廷の坂東への重税に反抗し朝敵となってしまった將門。死を危惧した將門はその神像を側室の辰子に託す。身重の辰子はその神像を携え故郷秋田の生保内へ逃げ延びる。


‥という設定で、


今回は辰子についての記述をご紹介します。





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平安時代。


平將門は天慶の乱(將門の乱)で討死。

一族は四散し討伐を恐れ東北に逃れたのでした。

安倍日本将軍國東(くにはる、頻良の別名)は將門一門を亘理相馬に住まわせました。

藤原秀郷(ひでさと)らが生き残った將門一門を追ってきましたが、安倍軍が棚倉、勿来、白河に軍をおき

追い払ったのでした。


秀郷はこのとき、天皇から密命をうけていました。神像の中に隠されている國記・天皇記。

それをもって「神皇」などと名乗り、朝廷に刃向かうなど許せん💢

必ずや將門の神像を奪うのだ‼️と。


しかし実は將門は國記・天皇記を見たことはありませんでした。蘇我蝦夷が降神山の出流山窟に神像を隠して以来、国記・天皇記が秘蔵されていることは誰一人知らなかったのです。


朝廷の命令とあればその善悪も問わず朝廷に従うのは武家の習わしです。秀郷もまたその中にあって、忍びの者からの情報を得て、逃げ延びた辰子の故郷を捜索させるのでした。


すると生保内の多束(たたば?)という者から「辰の方は將門の側室に間違いない」という密告がありました。秀郷はすぐさま生保内に追手をさしむけました。


同じ頃、辰子は亡き將門の子を石尊寺で産んだのでした。まるで玉のような美しい姫でした。

「男ならば將輝、女ならば楓」との將門の遺言で、姫は「楓」と名付けられました。

しかし楓姫の生育は思わしくなく病弱でありました。

そこで辰子は一念発起し生保内の龍湖の神に祈願することにしました。

湖の岸辺にに建つ青龍大権現のお堂にこもり楓姫の健康を一心に祈っていると湖から白髪の龍神が現れました。


辰子よ。

お前は苦難の星の下に生まれたのだ。

今お前が捕えられれば楓姫と共に殺されるであろう。

救う道はひとつ。お前の身を龍宮に捧げ、自ら生贄となるのだ。さすれば楓姫は健康になるであろう。

今すぐ帰って東の方角に住む辰年生まれで同じ年の

生保内生まれの女に楓姫を託せ。そしてお前はこの湖底にある龍宮に入水(自◯)するのだ。

忘れるでないぞ。


と言って龍神は消えてしまいました。

しばらく呆然としていた辰子でしたが、意を決して石尊寺に引き返し、楓姫を抱いて東に住む幼なじみの玉蟲(たまむし)という女に姫を託しました。

玉蟲は事情がよく分かりませんでしたが

楓姫を預かることにしました。


母娘の別れに辰子は將門の形見である風斬丸という太刀と、あの神像を添え置くとその手で優しく楓姫の髪をとかしました。そして楓の葉ような小さな手を自らの頬に押し当てながら言いました。


愛しい我が子よ。そなたを救うためには私は龍宮に入らなければならないのです。少しの間お別れだけどそなたのことを必ず守るから。


幼い楓姫の顔に辰子の涙がポロポロとこぼれ落ちました。それを楓姫が無邪気に笑っている様子を見て玉蟲も共に涙、ただ涙するのでした。


その時、突然外が騒がしくなりました。見ると石尊寺が燃えて紅蓮の炎が夜空を染めています。秀郷の差し向けた追手が寺に火をかけたのです。


辰子が龍神と誓った明け六つ(午前6時頃)。

龍湖に入水を果たした頃、にわかに天空は灰色に曇り、大きな雷鳴とともに稲光が走りました。そして秀郷の追手を狙うかのように雷が落ち、追手らはざんざんな目にあい退却したのでした。



その後、玉蟲を養母として楓姫は美しく成長しました。



(北鑑 第37巻 生保内悲聞 より)


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今回も長々お疲れ様でした。


ここでは敵である藤原秀郷のことを「命令に従うのは武家の習わし」と少しかばうような書き方になっています。のちに津軽の十三湊を起こす十三藤原家につながるからでしょうか。


あと、ちょっと面白かったのが「多束」。私は「たたば」と読みましたが津軽弁で「誰だ」を「だだば」というのに似てるなと思いました。要するにはっきり名前はわからない「だれか」という事かもしれないなーと。



秋田 生保内の龍湖とは仙北市の田沢湖のことでしょうね。




※画像お借りしました。


とても美しい青い湖です。

日本一深いのだそうですよ。


湖畔の辰子像は昭和43年のものだそうです。

そして現在最もポピュラーな辰子姫伝説は今回のお話とはだいぶ違います。


辰子姫伝説


まあね、お姫様が湖に入ったってことは共通していますね。南祖坊との恋物語も興味深いところです。




次回はらその後の楓姫をご紹介したいと思います。


ご訪問ありがとうございますおすましスワン






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