秋田、山形の豪雨災害の様子には本当に胸が痛みます。

被災された皆様の心の平穏と穏やかな日常生活が1日も早く戻りますよう心から願っています。





和田家文書の中から面白いと思ったものを紹介しています。


前回までの「平將門」の段に出てきた「國記・天皇記」をどうして將門が持っていたのか❓というところで2つの記述を見つけました。 


和田家文書は膨大な資料なので他にもあるかもしれませんがとりあえずこの2つをご紹介します。


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ひとつめ🤞


935年、下野国降神山に天空より緑色の光が夜空を真昼のように明るく照らしながら降ってきました。


皆が恐れる中、平將門は恐れずその落ちたあたりを見に行きました。

すると四方の木々をなぎ倒し土中深く穴があいていました。その穴を掘ってみると白く光る鉄の塊がありました。鉄はまだ少し温かでした。

將門はこれを鉄の神として石井郷に祀ることにしました。


そして、この鉄塊を探しに行った時、途中の出流山に岩穴を見つけた將門。入ってみるとその洞の中はまるで神殿の様な加工があり、クマの皮に包まれた神像が置かれていました。これを運び出して占い師に見せると「これは荒覇吐神である。武蔵の日原洞に祀るべし」と信託がありました。


日原洞に祀り地民に守らせていましたが、ある夜、將門の夢にこの神像が現れて「我は蝦夷の神なり。我を武蔵に祀るべし」と言いました。


將門は秩父の石井郷に荘厳な祭祀を催して、この神像を荒覇吐蝦夷権現として祀りました。すると武蔵の民もこぞって各郷に荒覇吐神社を祀るのでした。また、秩父郷も同様でありました。


そして將門討死の時、側室辰の方はこの神像を携え、生まれ故郷の秋田生保内に逃げ延びました。

そしてそこでひっそりと暮らしました。


北鑑 第37巻 武蔵古伝 より


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ふたつめ✌️


飛鳥時代。

國記・天皇記がかねてから狙われていることを知っていた蘇我蝦夷。

これを和銅山荒羽々岐の雌神・雄神の胎内に隠しました。

それが豊田郷神の御神体となったとは誰も知りませんでした。


時は過ぎ平安時代になって、この御神体を氏神として

坂東八平氏で持ち回りしていた所、

平將門がこれを江戸郷に神田大明神として祀りました。



將門は幼少の頃からよく学問をし、丑寅(東北)が古来日本国だと言うことを知ってから、坂東を倭朝支配から離し古来の日本国に戻そうと考えたのです。


そして939年、衣川の日本将軍安倍國東(くにはる)に対面し丑寅日本国の復古を誓いました。


そして坂東に反倭国の兵をあげましたが、同族の裏切りによって將門は討死してしまいました。この時の仲間割れの原因は藤原秀郷策謀でした。


將門が大事にしていた神像は娘の楓姫に遺されました。


和田家資料 丑寅日本紀 第九  序言 より



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ひとつめ🤞について、


隕石や洞窟、霊夢、神託。やや現実離れしてる気もします。でも日原洞って東京都奥多摩に

実際にあるんですね。観光地になっていて洞内は

ライトアップされているようです。


※写真お借りしました。


あと石井郷とは將門の本拠地で茨城県坂東市のあたりのようです。






ふたつめ✌️について、


和銅山はGoogleマップで見ると、日原鍾乳洞とは少し離れていますが秩父山地という点では共通しています。

和銅山では1300年前には銅の採掘が行われていたようです😳


藤原秀郷は敵として描かれていますが、秀郷の末裔はやがて安倍家の女性と婚姻し奥州平泉文化を興した

藤原清衡へと繋がって行きます。東北の歴史にとって超重要人物です。



☝️✌️どちらの記述でも、將門は最後に妻や娘に神像を託しています。




次回は、秋田生保内の楓姫についての記述を紹介したいと思います。




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