つづきです。
「青森県になぜ日本中央⁉️」の3話目です。
青森県東北町にある「日本中央の碑」です。
東北と北海道を領する日本国(日高見国)。
その日本国征服を目指す倭国。
倭国から蝦夷征伐にやってきた武将が
征夷大将軍 坂上田村麻呂。
Wikipediaよりお借りしました。
青森県内には坂上田村麻呂の創建
とされる神社がたくさんあります。
でもね、坂上田村麿は
岩手県の奥州市水沢のあたりまでしか
来ていないらしいのです。
坂上田村麻呂と一緒に
蝦夷征伐に来ていた
文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)。
Wikipediaよりお借りしました。
彼は田村麻呂の死後、
征夷大将軍となり軍を率いて
青森県上北郡野辺地町まで
北上しているそうです。
なので「日本中央の碑」は
文室綿麻呂が作ったのかもしれません。
そして青森県内の神社に残る
田村麻呂創建の伝説は、
実は文室綿麻呂の事蹟だったのかも。
もうちょっと続きますよ。
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