私が住むカーライルという町は、アフリカ系黒人を見ることすら滅多に無い程、移民大国イギリスなのに国際色が全くない場所である。
移民の人々さえカーライルを避けてるのか、それともカーライルに行けと言われたらハズレやと思うんかも知れないと、住んでいてそう思う。

そんな中、私のように英語がろくに話せない日本人が仕事にありつけ続けられるのは、田舎故に外国人を採用した事が過去にないからこその、まあ名前もどう読んで良いかわからん名前やけど、応募無いから仕方無し選択採用だと思っている。

不思議なのは、私が共に働く同僚らは私の英語に慣れてくるということ。
先日娘から、「お母さんの英単語には、聞いたことがないものがあり、わからない時がある。ただ、前後の会話でああ、こう言いたいのだなと分かるから聞き直す必要はない程度の英語力」だと言われた。
イギリスの何処で働いても「あなたの英語は十分分かるから」と言われるが、それはお世辞であると重々承知している。
だからこそ、これまで共に働いたスタッフらには感謝しかない。

イギリスに来てすぐの頃は、日本語に触れないよう自分を追い込んだ。
ところが、それが知らず知らずのうちに自分を締め付けてしまう。
そんな頃、日本のいとこが「笑ってはいけない」を録画したのを送ってくれた。
見ながら、張りつめていた気持ちが崩れて涙が止まらなかった。
日本語で笑って良いのだと許された気持ちになった。

それでも日本番組は一切見なかったが、その頃にブログという方法で日本語日記を書き、日本の家族や友人知人と繋がりを持つことを知る。
それが唯一、日本語を許される場とした。

そんな時である。
当時私は義両親と同居させて貰っていたのであるが、1週間泊まりに来ていた長男家族が来ていた時、当時の嫁に「日本語を完全に立ち切ったら英語が上達するんじゃない?本を読むとかしたら?ハリー・ポッターなんか子供でも読めるから、あなたにも簡単に読めるはず」と言った。

オーストラリアで生まれ育ち、アメリカのキャンプ場で働き、そこでイギリス人と出会ってイギリスに嫁いだ女に、言葉の壁と言語習得の難しさなど話したとて100年かかっても理解できない。

その年のクリスマス、長男の当時の嫁がホームシックだからと機嫌が悪く、子供には八つ当たり、義両親が用意してくれた豪勢なクリスマス料理も無言で食べ終わり「やれやれ、これで面倒なクリスマスも終わるわ~」と言い後片付けもせず部屋へと戻った。
静かに嫁の後ろから歩いて行った義母。
「ホームシックはお気の毒、でもね、あなたは義両親の私達やゲストの誰とも会話で話せ笑える。テレビも理解できるから笑える。でもね、あなたの日本から来た義妹は義両親や義兄夫婦、その2歳と3歳になる子供が言う事さえ100%わからない。わからないから、何故皆が笑っているのかわからない。そんな空間に放り込まれて、ただただ作り笑顔を浮かべて過ごす孤独があなたには分かる?言葉がわからないのと生まれた国は違えど同じ母国語で暮らせるあなたの環境とは比べ物にならない苦痛を味わいながらも、何とか馴染もうとしている新しい家族の前でホームシックだからと八つ当たりするなら今すぐ家に帰ってくれて構わない」と言い、再びテーブルに戻った義母。

義母には言葉の壁に苦しんだ経験はないが、言葉の壁に苦しむ嫁を見ることに苦しんでいたことを知る。
それがあったから私は日本に逃げ帰らなかったと思う。

今はもう、どうせ越えられぬ壁であるから越えようとも思っていない。
今日も20歳の男性正社員をこきつかい、どうでも良い話で1日笑って勤務終了。
住めば都はその通り。
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