もう何十回、いや100を超えているかも知れないが、何度同僚らの流し忘れた大便を見てきたかわからない。
昨日もまた…あった…のであるが、違和感を感じながら私はまず他人の大便を流し、そして用を足した。

すぐにランチを食べねばならなかったが、目に焼き付く残像が気持ち悪く、私は紅茶だけ飲んだ昼御飯だった。
何であんな気持ち悪いもんを残してトイレから出れるのか…
流したか流さなかったか確認せーへんのか…
何度経験しても不快である。

昨日私が感じた違和感…何でそんな違和感を感じるのだろうと考えたく無かったが考えた。
そしてわかった。
トイレットペーパーである。
これまで十数年見せられた大便は、大便そのものがドン!と便器にあったのに、昨日は大便を拭いたトイレットペーパーがこちら向きで便器に放置されてあった為に、大便そのものは見ず、明らかに尻を拭いた跡が目に焼き付いた。
ということはつまり、今まで見てきた大便はトイレットペーパーは一緒に便器の中には無く、大便だけを落として誰かが立ち去ったことになる。

だって普通、大便をしたら尻を拭くであろう。
ならば大便の上に覆い被さるようにトイレットペーパーが無ければおかしい。
つまり私は昨日、大便の後の正解を初めて見たことになるやんか❗と気が付いたのである。

今まで見てきた大便は大便だけを便器に落としていた。
間違いない。
だから私は昨日に限り、違和感を感じた。
だとしたら…だとしたらである。
これまで共に働いてきた同僚らの何人かは、大便の後に拭かずに出るということか?
拭かなければ手も洗わんと私は見た。

それに気が付いた昨日、私は静かに目を閉じ現実を受け入れた。
清潔概念…それは人間社会における理想の社会である。
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