さて金曜日から親戚の結婚式の為、ヨークに行っていた。
義母の妹の末息子が結婚するのであった。
息子は空軍に勤めており、奥さんになる人は政府の潜伏捜査官である。
アメリカのドラマでしか見た事のない「潜伏捜査官」・・・ホンマにそんな仕事の人いてはんのやな・・・とちょっと感激。

式が始まる前から、ある女性が号泣しっぱなしであった。
花嫁の母親である。
終始泣き崩れていた。

式が終わり、披露宴のハイティ(アフタヌーンティのちょっと高級版)が始まって少ししたころ、花嫁の父のスピーチが始まった。
父親は参列してくれた人々に感謝の気持ちを述べ、次に「私が1つだけ娘の母親に感謝する言葉を述べるとするならば、娘を産んでくれた事、それだけである。それ以上はもう無いのであるが・・・」と言った。

そう、この家族にも歴史がある。
花嫁が12歳の時、母親は男と駆け落ちした。
いつものように娘を学校に送って行き、そのまま男と逃げたのである。
夫と娘2人を残し、男を選んだ。
しかし彼女が22歳の時、母親は「もう1度、家族になりたい」と戻ってきた。
がしかし、誰も許せなかった。
そんな経緯があっての、今回の結婚式なのである。

母親を結婚式に呼ぶか否かはモメたと思う。
がしかし、母親はそこに来ていた。
「母親らしいことを何かさせて欲しい」と言う申し出を受け、母親が大きな3段のウエディングケーキを購入、披露宴の場に置いてあったが、とうとう最後までケーキ入刀はせずに式は終わった。

披露宴が終ったのは午前2時半くらいだろうか・・
ゲストのほとんどがベロベロのヘベレケ状態で帰って行く廊下の横にテーブルが置かれ、そこに一口サイズに切られてケーキが置かれてあった。
「ご自由にお持ち帰りください」といわんばかりに、小さな箱も用意され、持って帰りたい人が詰める形式になっていた。

ケーキ入刀しなかった事が、彼女の中の母親へのメッセージだったのかも知れない。
最も多感で母親を必要とした12歳の時、自分たちを捨てて男と逃げた母親をどう見ていたのだろう。恨み苦しんだに違いなく、学校生活でも辛い思いをしたのだろうと私は思っていたが、母親はこの式に呼ばれた事でそれが許されたのだと思ったのかも知れない。
しかし彼女は許していなかったのだろう。
そんな勝手な推測をしながら、号泣する母親を私は見ていた。

新郎のスピーチでも父親の顔だけを見ながらの内容であった。
「こんなに美しく、強く逞しく、そして勇敢で自立心の高い娘さんを育てて下さって有難うございます。何より、あなたの人生において、最も大切なものを僕に譲って下さった事を心から感謝し、これからは家族として僕が出来る限りの事をすると誓います」と言った。
母親がまるでそこにいないかのような対応であった。

新郎は5週間後にアフガニスタンに飛ぶ。
新婦はいつ捜査が入るか分からず、長期になれば5年ほどターゲットとなる組織に潜伏せねばならない。
共に命にリスクの高い仕事である。

数年前、新婦がある組織に潜伏中、父親が心筋梗塞で倒れた。
しかし勤務を途中で抜ければ何年もかけてきた捜査がパーになる。
彼女は捜査から抜けず職務を全うせねばならなかったから、父親の世話ができなかった。
その時、父親の近所に住む女性が病院の送り迎えや食事の世話、掃除などをやってくれ、その後2人は恋人同士になった。

母親が逃げてから父親は恋人も作らず、一生懸命自分たちを育ててくれた。
父親にも男としてこれからは生きて欲しいと願い、今回の結婚式は2日に及んで行われた。
金曜の夜、父親とこの女性との結婚式が行われた。
そして翌日の土曜、娘である新婦の結婚式には、父親が前夜に再婚した女性も「私の母」として紹介され参加していた。
その横には何年振りかに見た実母が座っている。

「家族」とは血の繋がりであり、またそうでは無い形式であると、今回の式を見て考えるのであった。

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