義母は自分から友達の家に遊びに行く事が決してない。
電話はたまに自分からかける事もあるが、基本プライドの高い人なので、自分から友達を誘う事もない。
それでも優しき友人が2か月に1度は義母の様子を見に泊りに来てくれている。

そんな友達の1人に、男性の友人がいる。
義父母がマンチェスター郊外に住んでいた頃にお願いしていた庭師さんである。
頻繁に来てもらっていた事もあり、義父と特に仲良くなった。
そうして義父母がカーライルに越して来てからも、庭師さんは定期的に来てくれていた。
電動車椅子で出かけねばならない義父と出かけるのは大変だったのであるが、それを気にせず庭師さんは義父と湖水地方によく出かけて行った。

義父が亡くなった後も、庭師さんは「友達」として来てくれており、お金は一切受け取らずに、しかし1週間泊り掛けで庭の整備をしてくれるのである。
いつしか来る頻度は多くなり、庭師さんが来る時は義母が料理をするようになった。
義母の好きなTV番組を一緒にみてくれたりして、私達夫婦にとっても非常に有難い。
一緒に買い物に出掛け、他人から見ればちょっと年下の夫に見えるかも知れない2人は、共に庭の作業をしながら楽しそうに過ごすのであった。

私と旦那はこれを嬉しく思う。
残された人生の時間を義母には有効に使ってほしいと思う。
孤独にならぬよう、こんな友達関係があって良かったと思うのである。

がしかし、これに「あの男何や?何者や?」と不快に思う者が2名。
そう、義母の長男と次男である。

次男は義父の葬儀以来、一度もイギリスに来ていない。
子供の写真1枚送ってくるでもない、スカイプをして顔をみせるでもない。
ただ気になっているのは、義母が売る家の値段と遺産分配のみ。

長男も同じく、「あの男が何でここに来るのだ」と遺憾。
庭師さんが義母に与える笑顔や安心感を近くで見ている私や夫がどんなに「そんな関係やないただの友達や」と言ったとて、その関係に汚らしさを感じる義兄。

子供とは、いくつになっても親の恋人関係に快くは思わぬものなのだろうか。
私には経験が無いから分からないのだろうか。

友人のヒラリーのお母さんが夫を亡くして5年経った頃、恋人を家に連れて来た。
そうして一緒に住む事になったのであるが、ヒラリーは「父親ではない男の人が家に住むのは何とも言い難い感情。だから家を出る」と言い、一人暮らしを始めた。
しかし母の笑顔が戻り、生き生きとする母、旅行を楽しむ母を見て「あの恋人のおかげ」と喜べるようになり、違和感が無くなったと言っていた。

私達がどれだけ頻繁に義母宅を訪れようとも、医師が進めるようにボケ防止に孫の子守をお願いしても、それはその一瞬だけであって、義母の孤独が減る事はない。
ならば、こんな生き生きと出来る異性の友達があって良いとは思えぬか・・と言えるのは他人であるからなのか。
子の心、複雑なり。

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