友人からの訃報 | きらきらくらす

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北アイルランド(NI)でNI人の旦那さんと息子二人と猫1匹で暮らす私の日記です。
発達障害のあるカイ君(5歳)次男リク君(2歳)の子育て、NIでの日常のいろいろを書いています。

こっちでずっと仲良くしてくれているお友達(お仕事先のオーナー)のお母さんが先日、癌で亡くなりました



70代半ばだったのですが、今年の春先に肺がんが見つかり、入院し末期宣告を受け、夏に一時退院したものの、先月から再度入院、数日前に病院で息を引き取ったそうです


そこで、旦那さんに半日休みを取ってもらい、カイ君を置いて、別の友人とお通夜に参加してきました。


お友達やご家族はもう末期宣告から覚悟を決めていたらしく、お通夜ではすっきりしていました。


多分、なくなった当日はもっとストレスフルだったに違いないのですが、お通夜の日は、もう次の日のお葬式の準備やお通夜に訪れる人への対応であんまり感傷的になる暇もなかったのかもしれないのですが・・・。


友人いわく、彼女のお母さん、なくなるちょっと前まで「XXXの結婚式に出たかった。」とか、「私の家が心配」とか、「OOOが大きくなるまでみたかった。」とか、いろんなことの心配をしていたそう。


「ここまで行ったら、もう覚悟が決まっているものだと思ったけど、そうでもなかったみたい・・・。」と友人は言ってたけど、それが見送る家族には一番つらかったみたい。



友人からお母さんの訃報を聞く前日、ちょうど書類の整理をしていて、古い雑誌のページに、姉妹を若くして亡くした人の記事があり、それをなんとなく読んでいた。


その人は、大切な人を亡くした時の喪の気持ちっていうのは、乗り越えていく、忘れるものではなくって、それが人生の一部になって、その気持ちと一緒に暮らしていくことに慣れるものだって書いていた。


私は、まだ両親も、同居の祖母も健在で母方の祖父を亡くしたことしかないけど、確かにそういうものなのかな・・・とおもう。



誰かをなくした気持ちっていうのは、消えさることなんかなくって、時間がたつと澱のように心の下のほうに、ゆっくり沈んでいくのだとおもう。


時になにかに心が揺さぶられて、気持ちがふわーと舞い上がって、思い出したり、また静かに心の奥へ沈んでいったり。



そして、亡くなった人は誰かの中の記憶になるのだから、誰かに思い出されたり、懐かしがられたり、寂しがられたりすることが結構大事なことなんだなとおもう。



人は、いつか死んでしまう。


誰かに素敵な思い出を残すような生き方がしたいと思う。


そして、今、周りにいる人と、限りのある時間を大事に過ごそうと思う。



友人からの訃報で、いろんなことを考えた一日でした。