「ただ在る」

 

 

 

それだけでよかったんだ・・

 

無為自然・・・

大好きな荘子の大好きな言葉。

 

 

 

これは古代から

最先端で更新され続けている

「命の幸せデフォルト」

 

これは「生命の本音」です。

 

 

「ただ在る」について

哲学者たちがどう言ってきたか

調べてみた。

 

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「ただ在る(Being / Pure Presence)」

という在り方は、

東西問わず多くの哲学者・神秘家・思想家が、

それぞれの言葉で語ってきた“普遍のテーマ”です。

 

 

【1】荘子(中国)

◎「無為自然」「心斎(しんさい)」

「坐忘(ざぼう)」

荘子の核心はまさに、「ただ在る」。

  • 心を空にして自然と一体化する(心斎)
  • 自分を忘れ、自然のままに生きる(坐忘)

荘子にとって“ただ在る”とは、
意図や努力をやめたときに自然(タオ)が働き出す状態
です。

 

【2】老子(中国)

◎「無為」「あるがまま」

老子は、荘子の師匠的な立ち位置。

  • 何も足さず、何も引かず、あるがままにすること
  • 無為こそ最大の働き
 

【3】仏教(特に禅)

◎「只管打坐(しかんたざ)」=“ただ座るだけ”

禅はまさに「ただ在る」をそのまま実践した哲学。

  • 目的なく座る
  • 考えを止めようともせず
  • 評価も意味づけもせず
  • 意識が“今ここ”にぽっと在る

4】スピノザ(オランダ)

◎「神即自然(デウス・スィヴェ・ナトゥラ)」

スピノザは、
すべては神=自然=存在そのもの
と言い切った哲学者。

 

【5】ハイデガー(ドイツ)

◎「存在忘却から存在への回帰」

ハイデガーは現代で最も「存在」を語った哲学者。

  • 人間は“存在”を忘れて生きてしまう
  • だから生の表面だけになって苦しくなる
  • 存在そのものの声を聴くことが本質
 

【6】ラマナ・マハルシ(インド)

◎「私は誰か?」

インドの覚者で、“ただ在る”そのものの教え。

  • 「私は誰か?」と問い続ける
    → 思考の自分ではなく、
    → 静かな存在そのものに戻る 

【7】エックハルト・トール(現代)

◎「The Power of Now(今この瞬間の力)」

世界中で“ただ在る”を広めた現代スピリチュアルの代表。

  • マインドの声を観察する
  • ただ今ここに在る
  • “存在”がすでにすべてを満たしている
 
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「ただ在る」が人の心を打つのは、

それが新しい考えだからではなく、

 

人間がずっと忘れたり

思い出したりしてきた、

一番古い感覚だからかもしれない。

 

「ただ在る」の真髄

真髄を一言で表すなら、

何かにならなくても、すでに在る。

です。

  • 頑張らなくても
  • 正しくなくても
  • 成功していなくても
  • 答えを持っていなくても

存在そのものは失われない。

 

 

「何かを足して価値を得る」

のではなく、

存在そのものが先にある。

これが「ただ在る」の中心。

 

 

なぜ心にくるのか?

① 普段は「なる」

に追われているから

人は、

  • 良い人になろう
  • 成功しよう
  • 愛されよう
  • 認められよう

と、「○○になる」ことに忙しい。

 

だから、

「ならなくてもいいよ」

という言葉に触れると、

 

身体のどこかが

「ああ……」

と緩む。

 

心が動くのは、

魂がそのことを

知っていたからとも

 

言えるのでないでしょうか。

 

② 赤ちゃんは「ただ在る」

赤ちゃんは、

何かを成し遂げていないのに、

そこにいるだけで家族を笑顔にします。

 

花も、月も、猫も、

「役に立とう」として

存在しているわけではありません。

それでも美しい。

 

人も本来そうなのだ、と身体が思い出す。

だから懐かしく感じるのです。

 

③ 「不足」から「充足」へ

視点が変わるから

普段は、

「まだ足りない」

「もっと必要」

という世界に住んでいます。

 

しかし「ただ在る」に触れると、

もうすでにある。

という感覚が立ち上がる。

 

この瞬間、

恐れや焦りから少し自由になります。

 

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哲学者たちが言い続けたこと

  • 荘子は「坐忘」
  • 老子は「無為」
  • 禅は「只管打坐」
  • スピノザは「神即自然」
  • ハイデガーは「存在への問い」
  • ラマナ・マハルシは「私は誰か」

それぞれ言葉は違っても、

皆、

「人間よ、存在そのものを忘れていないか」

と問いかけていました。

 

 

しかし、「ただ在る」は

何もしないことではない

ここが真髄です。

「ただ在る」は、

ぼーっと止まることではありません。

 

むしろ、

存在から自然に動きが生まれること。

 

花が咲くように。

川が流れるように。

呼吸するように。

無理に動くのではなく、

在ることから働きが現れる。

 

 

そして、もしかすると

「ただ在る」が心にくる最大の理由は、

 

人間の奥深くが、

「私は何者かにならなくても、

もともと生命そのものだった」

と知っているからなのかもしれません。

 

だから「ただ在る」という言葉を聞くと、

新しい知識を得た感じではなく、

 

遠い昔から知っていたことを

思い出したような、

懐かしさと安堵が訪れる。

 

「ただ在る」とは、

何かを獲得する教えではなく、

 

すでに失われていなかった

ものに気づくこと。

 

「すべてある」

「すでにある」

 

宇宙の法則が嘘じゃないんだ。

「ただ在る」の真実が

わたしたちの無限の可能性の鍵を

授けてくれるんだと思うんです。

 

 

この子は魂のたまちゃん

「ただ在る」でいいんだよ〜って

いっつも言ってくれるんだよね。

 

そして・・

「ただ在る」から身体と接続される

 

神式・身体陰陽師も

遊び感覚でお試しいただきたい!

 

 

「お値段以上」との声を

いっぱいいっぱいいただいています!

 

「どうぞ参られよ♡

 そなたをお待ちしておるよ」

身体陰陽師 波明 より♡

よかったらこちらを待ち受けにしてみてください!

身体、臓器、細胞からの無条件の愛を

感じられますよ❤️