上の広告の中に気になる文章があった。

 

戦前は政府・軍部・右翼に攻撃され皇室侮辱罪で禁固刑に処せられるも、

戦後は一転して文化勲章を親授された

 

戦前・戦後で津田左右吉の著作や思想への評価が正反対に変化したのはなぜかと思った。評価するのは世の中や政府だと思うが、敗戦によるGHQの意向が影響したりしたのだろうか?

 

Geminiによれば⋯

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歴史学者・津田左右吉(つだ そうきち)に対する評価が戦前と戦後で180度変わったのは、「国家によるイデオロギー(思想)統制の崩壊」と「学問の自由・実証主義の復権」が背景にありました。

戦前の弾圧と戦後の栄誉に至るまでには、以下のような歴史的な構造の変化がありました。

1. 戦前の評価:なぜ迫害されたのか?

戦前の日本は、皇国史観(天皇が神話の時代から万系一系で続いているとする神聖不可侵の歴史観)が国家のイデオロギーとして絶対視されていました。

「津田事件」(1940年)の発生:

津田は歴史資料を客観的に批判・検証する「文献批判(実証主義)」の立場から、『古事記』や『日本書紀』(記紀)の神話部分や神武天皇などの実在性を歴史的・科学的な事実ではないと論じました。 

右翼・軍部からの攻撃:

これを「皇室の尊厳を冒瀆する(不敬である)」とみなした右翼思想家(蓑田胸喜ら)が津田を告発。時局に迎合した政府や軍部、司法もこれに同調し、津田の著作は発禁処分となり、早稲田大学教授を追われ、裁判で有罪判決(禁固刑・執行猶予)を受けました。 

2. 戦後の評価:なぜ一転して称賛されたのか?

敗戦により、日本は国家神道や皇国史観の束縛から解放され、民主主義と「学問の自由」が憲法で保障される社会へと生まれ変わりました。

「弾圧に屈しなかった正義の学者」としての名誉回復:

戦後、軍部や右翼の圧力に屈せず、科学的・実証的な歴史学を貫き通した津田の姿勢は一転して高く評価されるようになりました。戦前における最大の「思想弾圧の被害者」のひとりとみなされたのです。

「津田史観」の学界主流化:

彼が切り拓いた、古典を客観的なテクストとして分析する古代史研究の方法論は、戦後の日本歴史学界のスタンダード(主流)となりました。その功績が称えられ、1947年に日本芸術院・学士院会員に選ばれ、1949年には文化勲章を親授されました。 

まとめ:評価が変わった本質的な理由

津田自身は、戦前も戦後も一貫して「科学的な実証主義にもとづき、歴史を政治やイデオロギーの道具にしてはならない」という学問的信念を貫いていました。

つまり、津田自身の主張や学問の本質が変わったのではなく、彼をとりまく「国家の体制とイデオロギー」が180度転換したことこそが、評価が劇的に変わった最大の理由です。
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大正・昭和を代表する歴史学者、津田左右吉博士の明治維新論。2021年毎日ワンズ刊『明治維新の研究』を増補、さらに江戸川乱歩賞受賞作家による本書の解説を収録した「完全版」。

「明治維新、またそれに引き続いて歴史的に次第に展開せられてきた明治初年のいろいろの改革の性質と意義とについてのわたくしの考えは、いま世間で多く語られていることとは遥かに違ったところがあるので、その一端を述べてみよう」(本文より)