ネタバレに該当する部分があるので、未読のブロガーさんはスルーしてほしい。

読み直した章を以下に列記する。
太字は章名。1段下がりは私がその章の肝と思った箇所を抜き出したもの。
§ 火と水と土の契
舞を踊るとき
血は水よりも濃いのよ。あなたは本当の血脈の娘。十条家に預けられたのは、あなたを守るため。いつか、帰るべき場所があるの。
あなたが生きてるだけで、祈りは繋がるのよ
言葉は宙に浮いたまま、またしても中断された。祖母が突然、顔色を変え、胸を押さえて椅子に崩れ落ちたのだ。
日記⋯⋯忘れないで。そして⋯⋯時が来たら⋯⋯
あなたの生きる姿が⋯⋯私の願いなの
葬儀の日、叶羽は初めて見る親戚たちに囲まれていた。しかし、そのなかに紛れて、どこか違和感のある参列者たちがいることに気づいた。黒い服ではあるが、どこか儀式めいた雰囲気を漂わせる数人の男女。彼らは祖母の遺影の前で、通常の弔問客とは明らかに異なる深い敬意を示していた。
私たちが正式に養女として迎えます。
祖母の遺品のなかで、唯一叶羽に遺されたのは、あの和綴じの日記だった。「時が来るまで開かないように」という祖母の言葉を守り、叶羽はそれを大切に保管することにした。
祖母は、本当に自然死だったのだろうか?
その疑問が、初めて明確な形となって叶羽の心に浮かび上がった。あの黒い背広の男たちの訪問、急激な体調の変化、そして「くくられる」という言葉の影。⋯⋯それらがいま、新たな意味を帯びて結びつき始めた。
Protocol:K
叶羽は立ち上がり、夕日に向かって静かに手を伸ばした。その指先が、無意識のうちに舞の一節を描いていた。
指輪に刻まれた古い家紋が、画面の光に照らされて一瞬輝く。それは藤井家が代々継承してきた、「守りし者」の証だった。
「くくり稼働中」
特定語彙の出現率、対前年比『マイナス三七.二%。十条叶羽の検索行動に揺れあり。だが、まだ兆しの範囲内です
東京大学のさーバーからのアクセスは?
増加傾向。特に深夜帯の利用が顕著です。ある女子学生が、システムの周辺を探っている形跡があります
「彼女は危険か?」「スキルはありますが、まだくくりの核心には気づいていません。監視を続けます」「ーーー女の直感というのは、時にデータよりも早い。気を抜くな」
通常監視を継続。必要なら深層くくりにi移行します。
藤井はモニターに表示された別のファイルに目を移した。「『阿波風土記』・断片Bー4(スキャン済)」というラベルの古文書。色褪せた紙の上に、かろうじて判読できる文字が並んでいる。父から受け継いだ使命とともに、この文書も父の遺産だった。
窓の外では、東京の夜景が無数の光点となって広がっていた。あたかも星空のように。だが藤井の脳裏に映るのは、千年の星の下で刻まれた別の風景。血のなかに眠る記憶の断片。
記憶は祈りなり、記憶は力なり
真実は、時として国を壊す。だから⋯⋯くくる。
香久山の海
でも、なぜ阿波なんだろう?
それは単なる歴史的な興味や学術的な発見を超えた、もっと個人的な、もっと本質的な繋がりだった。
歴史は時に嘘をつく。あるいは、何かに強いられて本当の姿を隠すのかもしれない。
その時、叶羽のなかで何かが共鳴した。古の言葉が、魂の深層から呼び起こされるように蘇る。それは単なる歴史的な興味や学術的な発見を超えた、もっと個人的な、もっと本質的な繋がりだった。
舒明天皇の歌が描く光景が、いま、目の前に完璧な形で広がっている⋯⋯奈良の天香具山からは決して見ることのできない、海原と鴎たちの舞う風景が⋯⋯。
ここが本当の飛鳥だったの⋯⋯
目の前に広がる風景が、教科書に書かれた歴史を根底から覆す可能性を秘めていることを、叶羽は知っていた。だが同時に、その認識は新たな疑問も生み出していたーーーなぜ、そしてどのようにして、これほど重大な事実が歴史から抹消されたのか。
叶羽は社殿の一本の柱に思わず視線を寄せた。風化した木肌には、幾重にも重なる年輪のように、時の流れが刻まれていた。そこに不規則な模様が浮かび上がっているーーーいや、模様ではない。何かの文字だ。古びた墨の痕跡が、木目に溶け込むように存在していた。
天祖元國英 羽孫故為三始牛
⋯⋯天つ祖は元の国に英なり、羽ある孫は故に三つの始めを牛となす⋯⋯
戻ってきたのですね
老婆は答えない。ただ、叶羽の簪を見つめる目に、認識の光が宿った。
ここは⋯⋯飛鳥ですか?
老婆の目に、』僅かな驚きと深い安堵が混じり合った。「知っているのですね」老婆は静かに頷いた。「小松島市の大林町は、かつては飛鳥と呼ばれていました。明治以前の地誌『阿波誌』にも飛鳥神社があったことが記されています」
「はい、明治の初め、多くの神社が統廃合され、消えていきました。しかし、名前は消えても、土地の記憶は消えません」老婆の声は遠い過去を懐かしむように柔らかくなった。「徳島には、ほかにも多くの大和の地名がいまも息づいているのです」
「その簪ーーー。水主のーーー」
「これは始まり。完全なるものは、古の智恵に従い、神代からの血脈を継ぐ者だけに明かされます」
羽孫故為三始牛ーーーそうだ、祖母の日記のどこかで見たはずだ。埃を被った記憶が、突如として鮮明に甦る。
そして同時に、祖母が詠んだ和歌の一節も心に浮かび上がった。「うつし世に 声なき民の ことばきく 血をつなぐ道」という後半は何を意味するのだろう。祖母はこの和歌に自分に伝えるべき重要な謎を託したのではないか。
「あなたのおばあさまは、真実を守り続けた人だったのですね」老婆の声は風のようにそっと囁いた。「声なき者たちの言葉をきき、血で繋いでいく道を選ばれた方ーーー」
「よく見れば、隠された言葉が浮かび上がるでしょう。新月の闇に⋯⋯」
叶羽は自分の鼓動を感じながら、掌に残る木の感触を確かめるように指を握った。幻ではない。確かに何かと繋がったーーー血が記憶する、遥か昔の真実と。
オリジナルな神社
「叶羽ーーーそこが謎のポイントだよ」電話の向こうで、北野が小さく息を吐いた。「『坐』という字がつきながら“オリジナル”を主張する神社ーーーその“例外”が、なぜか奈良に集中しているーーー統計的におかしくないか?」
「そう、五十の式内社のうち、ゼロなんだ」北野の声に鋭さが宿る。「つまり、阿波のすべての式内社が『オリジナル』だということだ」
「阿波も神社って⋯⋯普通じゃないですよね」
「『これは始まり。完全なるものは、古の智恵に従い、神代からの血脈を継ぐ者だけに明かされる』か⋯⋯」
「神話の神々は、そもそも出雲や日向にいたはず⋯⋯」「そう、奈良の神社が例外なのか、それともーーー」北野は一拍置いた。「“例外”にしなければならない何か切実な理由が隠されているのかーーー」
「そう。そのイザナミの名を冠して、イザナミを祀る式内社は、実は、日本でたったの一社しかないんだ」北野は一泊おいた。「それが阿波だーーー」
「うんーーーこういう霊を挙げればきりがない。例えば、神武天皇の祖母である豊玉姫の奈を冠して祀る式内社は日本全国にたった二社しかない。ーーーそして、そのどちらも阿波にあるんだよ」
「違和感?」