昨日の午前中、母がテレビを付けてくれというので、たまたま付けた番組がBS朝日「子供たちに残したい美しい日本の歌」だった。

佐々木信綱作詞とテロップが出た曲のときに、私の初任校の船木小学校も2校目の飯沼小学校も、校歌が作詞佐々木信綱・作曲信時潔だったことを思い出した。校歌がなかった船木小学校に校歌を作ろうと持ちかけたのが磯村校長だった。当時の船木小学校の職員2名が佐々木信綱と信時潔に依頼しに行き、その職員が飯沼小学校に転勤して同じペア(佐々木・信時)に依頼した。昭和20〜30年頃の話だ。こういう事実はやがて消えていくのが少し寂しい。

 

閑話休題

同番組で「われは海の子」を聞いた。とても格調高い歌詞に感動した。ここで思い出したことがある。

大学3年か4年のときの音楽教材研究の授業だ。

千葉大学教育学部の石黒先生という年配の教授で、国の音楽教育の重鎮だったらしく、学習指導要領編制にも権威があった。

「われは海の子」を学習指導要領から削除するように文部省(当時)の会議で強く発言し、代わりに「アイアイ」(お猿さんだよの曲)を入れるように注文をつけたと得意げに言っていた。内心、私は不満だった。

 

ウィキペディアで確認すると

--

1910年(明治43年)7月に『尋常小学読本唱歌』で発表された[1]。敗戦後7番の歌詞は国防思想や軍艦が登場するという理由でGHQの指示により教科書から削られた。1947年(昭和22年)以降、小学校では3番まで教えられている[1]。1980年(昭和55年)より、「難解な言葉が多く、子供の生活になじまない」という理由で、共通歌唱教材から外された[3]。しかし、日本国民の間の人気は高く、1990年(平成2年)から教科書に復活した[3]。

--

1980年といえば私は教職2年目だ。2年後に石黒先生の言うとおりになった。

私が当時先輩教師に「子供たちに残したい良い曲が消えていく。歌詞が難しかったなら、教師が歌詞の意味を説明してから歌えば良いだけの話じゃないですか」というと、先輩は「小学校には古文の素養のある教師ばかりがいるわけじゃないよ」と一笑に付された。

 

以上、テレビ番組を見て思い出したことを書いておいた。