6年前の4月14日のブログをリブログします。
ブログで辞書読みをすることを覚えた初期のブログです。
先ほど、下書きボタンと投稿ボタンを間違えてしまいました。大変失礼しました。
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この逸話は、1つ前の逸話「自然と語る」から続いていて、「すり鉢一つ」「一人分の食器」「無一物即無尽蔵」という表題が付いた3つの節から成り立っています。
「すり鉢一つ」「一人分の食器」の2つは、亀田鵬斎が五合庵に良寛和尚を訪ねたときの一連の話で、「無一物即無尽蔵」は、著者 植野明磧先生の解題です。
「すり鉢一つ」あらすじ
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鵬斎が初めて五合庵に足を運んだのは文化七年(1810)の秋、鵬斎57歳、良寛54歳のときだった。そのとき、良寛さんは
「鵬斎先生、ちょっとお待ちくだされや。」
と言いながら、部屋の中から摺鉢を持ち出して、近くの岩陰から清水を汲んで戻ってきた。
「さあ、これで足を洗ってくだされや。」
鵬斎は驚いた。
「和尚、摺鉢ではござりませんか。」
「そうじゃ、これでも手足を洗うことができますでのう。」
驚きながらも敬服した鵬斎は、勧められるままに顔を洗い、恐る恐る足を洗って部屋に上がった。
やがて夕方になり、酒好きな鵬斎のために、良寛さんは麓の酒屋へひと走りしたのだが、月に見とれて帰りが遅くなったのだった。(前の逸話「自然と語る」参照)
急いで夕餉の支度にかかった良寛さんは、さっきの摺鉢で米をとぎ、それが済むと、その摺鉢で味噌を摺った。 この様子を見ていた鵬斎は、あきれ返ってものが言えなかった。
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《辞書を読む》
ゆうげ(ゆふ‥)【夕食・夕餉】
(近世初期ごろまで「ゆうけ」)夕方の食事。夕飯。晩飯。⇔あさげ・ひるげ
すりばち【擂鉢・摺鉢】
1 味噌、胡麻などの食品を入れてすりこぎですりつぶすのに用いる鉢。漏斗状の陶器で、内側に細かい縦のきざみ目がある。擂粉鉢(すりこばち)。当鉢(あたりばち)。
2 (男性器をすりこぎになぞらえるところから)女性器をいう。「擂鉢を割る」
すりばち‐むし【擂鉢虫】 「ありじごく(蟻地獄)」の異称。
(国語大辞典 新装版1988)
「一人分の食器」あらすじ
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ようやく支度を終えた良寛さんは、一つの皿に盛った漬物と、二つの茶碗と箸を持ってきて、二人の間に置いた。そして、にこにこしながら言った。
「待たせましたのう鵬斎さん、さあ召し上がってくだされ。」
まず良寛さんは、軽く会釈をして茶碗を手にした鵬斎に、徳利の酒を注いであげると、もう一つの茶碗には、自分のを注いでもらった。現在の時刻で九時を過ぎ、酒の量がわずかでも、空き腹で飲む酒はよく利いて、二人は上機嫌で話を弾ませた。
ほろ酔いの二人は、いよいよご飯を食べることになった。すると良寛さんは、いま酒を飲んだばかりの二人の茶碗に、ご飯を盛ってから言った。
「さあ、ご飯を食べてくだされ。」
暖炉に吊るした味噌汁の鍋からは湯煙が噴いているが、良寛さんはご飯だけ食べさせる。鵬斎は変に思いながらも良寛さんに習ってご飯を食べた。
二人が一膳ずつ食べ終わると、良寛さんが両方の茶碗に熱い味噌汁を盛って、鵬斎に勧め、二人は味噌汁だけを吸った。
このようにして、良寛さんは、ご飯と味噌汁を代わる代わる食べさせた。さっきの酒の肴も、ご飯のおかずも、一つの皿に盛ってある漬物をつつき合って食べるのだった。
鵬斎はおかしくなって、くすくす笑わずにはいられなかった。すると良寛さんは、平気な顔で、やさしく言った。
「ご飯とお汁を代わる代わる盛って食べても、腹の中に這入れば、みんな一緒になってしまうのじゃ。茶碗や皿がいくつあっても、それは食べるわけにはいかんからのう。」
大きく頷(うなず)いた鵬斎は感心しながら笑い、良寛さんも愉快に笑った。二人の談笑は夜の更けるまで続いた。
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昔、テレビのコント番組で、コメディアンが、インスタントコーヒーと牛乳を別々に飲み干して、お腹を揺さぶり、「腹の中でカフェオーレの出来上がり」と言って観客を笑わせていました。
「腹の中に這入れば、みんな一緒」と言った良寛和尚と「腹の中でカフェオーレ」と言ったコメディアンの行為は同じように見えます。
けれども、1回限りの「腹の中でカフェオーレ」であっても、コーヒーカップと牛乳瓶は別々の容器です。それに比べて、良寛和尚は、1つの摺鉢で顔洗い、手洗い、足洗いを済ませ、一対の茶碗と一皿で食事と晩酌を済ませるのです。これではコメディアンも形無しで、白旗振って降参です(笑)。
鵬斎は、摺鉢で顔・手・足を洗わされ、茶碗一つでご飯・味噌汁を交互に食べて飲み、晩酌まで済ますことに、相当面食らったと思います。
鵬斎の常識とあまりにかけ離れた良寛和尚の生活様式に、鵬斎は、とうとう、くすくす笑い出しましたが、それは決して嘲笑ではなく、
「私には到底できないが、良寛和尚なればこその振る舞いなのだな。」
と理解してなお、理解の範疇を超えてこぼれた感情の発露の笑いだったのだと思います。
凡人の私の感想はこのくらいが精一杯ですが、植野明磧先生の解題「無一物即無尽蔵」を引用して締めくくりたいと思います。
「無一物即無尽蔵」
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良寛さんは、その詩の中で、「欲が無ければ一切が満ち足り、欲を“あらわ”に出せば万事が窮する。粗食であっても空腹は満たせるし、破れ衣をまとっていても、どうにか寒さがしのげるのだ・・・。」と言っています。したがって、托鉢に出て、その日の食を得れば足り、余分があると鳥や獣にさえ分けてやりました。それで、人々はその奇特に心打たれ、その道徳を崇拝して、衣類やその他さまざまな物を、喜んで供養したのです。ところが良寛さんは、またその余分を、貧しい人たちに領(わか)ち与えるのでした。過ぎた財貨は、出家本来の使命を全うし、真の自己に生きようとする良寛さんにとっては、全く無用の重荷でありました。良寛さんの五合庵は、わずかに方一間半のあばら屋でありましたが、その心の空豁(くうかつ)さにおいて、宗祖道元の開いた永平寺の大伽藍よりも、更に宏大だったのです。無一物は、そのまま無尽蔵に通じるのであります。
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《辞書を読む》
きとく【奇特】
(明治ごろまでは「きどく」か。現代は「きとく」がふつう)
Ⅰ 〔形動〕
1 非常に珍しく、不思議なさま。また、すぐれているさま。*今昔‐六・六「此の香の奇特なるを」
2 ふつうよりもすぐれていて、ほめるべきさま。負担がかかるようなことを、すすんで行なってほめるべきであるさまにいう。殊勝。感心。*大観本謡曲・現在七面「げに奇特なる信心かな」
Ⅱ
1 神仏などの不思議な力。霊験。奇蹟。*徒然草‐七三「仏神の奇特、権者の伝記」
2 =きどくずきん(奇特頭巾)
くうかつ(‥クヮッ)【空闊・空豁】
〔形動〕ひろびろとひらけているさま。
むいちもつ【無一物】
何も持っていないこと。何ひとつ無いこと。むいちぶつ。
むじんぞう(‥ザウ)【無尽蔵】
1 仏語。尽きることのない財宝を納める蔵(くら)。無限の功徳を有することをたとえていう。
2 仏語。寺に設けられた庶民のための金融機関。信者の布施した財物を蓄えて貸し出したもの。
3 (形動)取っても取っても尽きないこと。無限にあること。「無尽蔵の水資源」
(国語大辞典 新装版1988)
先日、植野明磧先生のお写真を、お孫さんの Atsuko さんのブログ『神戸市西区 Atsukoきもの着付け教室』で拝見し、明磧先生を身近に感じることができました。明磧先生没後25年の時空を超えて、明磧先生の教えを受けられる喜びに満たされております。
追伸
現代教養文庫版『良寛さん』は、原書『良寛さん』の誤植を修正しながら、難読漢字にルビを振ったり、和暦年号の後ろに( )を添えて西暦を付すなど、原書の品位を保ちながらも、名著に磨きをかけていることがわかり、感じ入りました。
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