大湾節子さんの著書『幻の旅路』の
「第3章 1980年、第三回目の旅」
9月15日~11月25日 71日間 七ヶ国
イギリス→オランダ→フランス→スペイン→モナコ
→イタリア→ギリシャ→イタリア→モナコ→
フランス→オランダ→フランス→イギリス
の読後感の続きです。
本書からの引用はブログの引用機能を使って表記します。
なお、引用文中、(略)はブログ筆者による省略です。
私の読後感を大湾さんがご自身のブログ「『幻の旅路』大湾節子のブログ」に、カラー写真を添えて転載してくださいました。添えられた写真によって、ご著書のイメージが膨らみます。
大湾さんのブログはこちらです。
110頁
マドリードで、ブーツの話
10月9日 マドリード→グラナダ
大湾さんは、愛用のブーツを修理しなければならなくなりました。
旅が始まってから、ほんの数週間でかなりの距離を歩いたらしい。昨日訪れたトレドの凸凹砂利道で足には完全に豆ができてしまうし、とうとうブーツの方がダメになってしまった。新しい靴とも考えたが、靴擦れが怖い。やはりこの靴を修繕してもらおう。
ホテルで靴屋はいくつかあると聞いて、大湾さんは訪ね回り、やっと修理ができる靴屋を探し当てます。とりあえずの糊付けだけやってもらい、大湾さんはこのブーツを翌年のヨーロッパ旅行でも愛用します。イタリアのベニスで洪水被害に遭い、再び糊が剥がれたブーツを、靴修理店で頑丈に縫い合わせてもらうことができた、とのことです。
私にも、靴で困った、という経験があります。
大学入学記念に買ってもらった革靴、なかなかの高級品だったのですが、大学4年の時の教育実習初日に壊れてしまったのです。始業前、小学2年生の子どもたちが遊ぼうというので、まだ背広姿のまま校庭に出て、ドッジボールをしていたら、靴の底が抜けてしまったのです。
これには参りました。実習初日終了後、閉店間際の千葉駅ビルの靴屋に行って、買替ました。家庭教師のアルバイト料1か月分の1万円が消えました(苦笑)。
ドイツの女の子ペトラに出会う
大湾さんは、午前中にブーツを修繕してもらった日、昼食を摂ろうと、ホテルの斜め向かいにあるレストランに入ります。そのレストランで、若い女の子に出会います。
突然「向かいの席に座っていい?」と声をかけられる。
見ると、ブロンドのショートヘアの若い女の子が私のテーブルの前に立っていた。
(略)
英語が上手なのでどこの国か聞いたら、ドイツ人だと答える。彼女はニュルンベルクから来た留学生で、名前はペトラ。スペインは二年目で堅苦しいドイツ人と違って、スペイン人は大らかで開放的で大好きだという。
(略)
このまま別れてしまうのは残念だと思っていたら、何と彼女の方から「今日はテストが終わってのんびりしているところだから、、夜まで一緒につき合ってあげる」と、申し出てくれる。
ニュルンベルクといえば、私が大学のオーケストラで最初にトランペットを吹いた曲が、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガーより 第1幕への前奏曲」でした。
人との交流とは、年齢差や性別、民族を越えて、最終的には人と人との相性で成立する、ということでしょうか。
大湾さんは、彼女とレアル宮殿に向かいます。
地下鉄を降りて表通りに出ると、入口のすぐ横の地べたにもの乞いの親子が座っていた。マドリードの町なかではどこでももの乞いを見かけた。
そして、大湾さんはペトラから「ガイドブックにも載っていないこの国の意外な現実」を教えてもらいます。
いまのスペインの若い人たちは男女平等で、女性も男性と同じ教育を受け職業訓練も十分受けている。
(略)
しかし、少し前の世代の女性、つまり三十歳以上の女性はいままで何の教育も訓練も受けず、実際に社会で働いた経験もない。それで一家の大黒柱の亭主が突然事故や病いで死んでしまったら、主婦か母親役しかやったことのない女性は、ああして残された子供たちと一緒に道端でもの乞いするしか、生きるすべを知らない。この国ではこういう人達を十分援助する法律もないのだという。
驚きましたね。フラメンコや闘牛など、「情熱の国スペイン」というイメージしか持ち合わせなかった私は愕然としました。つい最近まで、いわゆる社会福祉制度が乏しく、生活弱者には厳しい国だったのだ、と知って、ため息が出ました。
大湾さんも、「私も生まれた国や時代が違っていたら、いま私が持っている自由や権利は与えられなかったのだ」と思い、ペトラ嬢を「ただの可愛いブロンドの女子学生ではなく、しっかりした頭脳と温かい心を持った立派な女性だった」と讃えます。
「物乞い」で思い出しました。私は人生で2度、物乞いする人に出逢っています。
一度目は就学前、4歳か5歳の頃。まだ現在の家屋が建っていなかった自宅の庭には井戸とぶどう棚がありました。縁側に出て遊んでいると、まるで仙人のように、はだしで、白くて長いあご髭を生やし、髪の毛をきゅっと束ねた、修験者のような白装束の老人が「井戸水を飲ませてもらうよ」と言って、手汲みポンプを上下させながら、がぶがぶと井戸水を飲みました。数分経ったでしょうか、いつまで経っても飲み終わらないことに気味わるくなった頃、ようやく、「ありがとう」と言って立ち去りました。
二度目は、小学4年生の頃。「ごめんください」と声がしたので玄関に出ると、きちんとした身なりの40代後半の男性が、「物貰いです」と言います。「モノモライ」の意味を目にできる病気のこととしか理解できなかったので、私は「えっ?」と聞き返しました。
男性は「物貰いです。乞食です」と言ったので、私がギョッとしていると「井戸水を飲ませてください」と言って、私が「どうぞ」と言うや否や、井戸水を飲んでから出ていきました。髭は少し伸びていましたが、失業して間もない頃だったのではないか、と、今になって思います。
私は、じわりじわりと貧困が拡がって、住みにくくなった今の日本でも、「もの乞い」はありうるのではないか、と、危惧しています。
(つづく)
