大湾節子さんの著書『幻の旅路』の
「第3章 1980年、第三回目の旅」
9月15日~11月25日 71日間 七ヶ国
イギリス→オランダ→フランス→スペイン→モナコ
→イタリア→ギリシャ→イタリア→モナコ→
フランス→オランダ→フランス→イギリス
の読後感の続きです。
本書からの引用はブログの引用機能を使って表記します。
なお、引用文中、(略)はブログ筆者による省略です。
私の読後感を大湾さんがご自身のブログ「『幻の旅路』大湾節子のブログ」に、カラー写真を添えて転載してくださいました。添えられた写真によって、ご著書のイメージが膨らみます。
大湾さんのブログはこちらです。
86頁
パリ行きの夜汽車のできごと
9月23日~24日 アムステルダム→パリ
夜汽車の中で、大湾さんは変な男に言い寄られます。けれども、二等切符しか持たない男は車掌に窘たしなめられて二等車両に移動させられます。
そして、安心したのも束の間、今度は夫婦者が大湾さんに同席を求め、大湾さんと夫婦の計3人が川の字のように横になります。
そうしたら・・・・・・
私も先ほどからの緊張がやっと解けてうつらうつらとまどろみかけたと思ったら、脚の下の方で何かごそごそする。慌てて起き上がり、手で払いのけたら、何とねている夫の手。睨みつけると、まるで何事もなかったように、寝たふりをしている。美人の妻とぴったりと寄り添って寝ているというのに、別の女性にちょっかいを出すなんて全くあきれた男だ。
というわけです。
いやはや、女性の一人旅は危険と隣り合わせのようですね。
それでも、大湾さんは次のように書いています。
もう再び会うことのない彼らに異国の地での幸せを心から祈りたい気がした。
テレビのニュース等で知る限り、西欧では現在も移民の人たちが大変な生活をしているようですが、当時、夜行列車で大湾さんが出会った彼等もまた、異国の地を彷徨さまよう人たちなのでしょう。大湾さんの優しい気持ちを知りました。
ちなみに、この夫婦者もまた、二等切符しか持たなかったので、車掌に追加料金を支払うはめになったのでした。
88頁の写真
『「アドリア海の真珠」ドブロブニク旧市街で 』 1985.07.31
89頁の写真
『急な階段で囲まれたドブロブニクの子供達』1985.08.01
これらの写真を見ると、「石の町」というイメージが湧きました。西洋文明というとすべてが機械文明のように思うこともありますが、これらの写真からはメカトロニクス(機械電子工学)という概念は湧いてきません。数百年、いや、千数百年の昔からの生活を継続しているのだな、と、いうような印象を持ちました。
「アドリア海」をグーグルで調べました。イタリアの東方なのですね。
また、「アドリア海の真珠」で検索したら、「一度は行きたいクロアチアの人気観光スポット」というサイトが表示されました。日本を出たことのない私(正確には、北海道と九州、沖縄にも一度も足を踏み入れたことのない私)は、「へ~っ、ほぉ~っ」と感心することしかできません。
小・中・高・大学を通して、地理という科目は大の苦手でした。また、恥を忍んで告白しますが、若い頃、学級担任時代には、年度始めの家庭訪問中、迷子まいごになり、学校に戻れなかったこともありました(苦笑)。公衆電話を見つけて、「レストラン○○○という看板が見えるが、ここはどこ?」と、半べそをかきながら学校に電話をして助けてもらいました。
地理が苦手で方向感覚の欠如している私には、とても海外旅行は無理な話なのです。
(深呼吸)
話が脇道に逸れてしまい、申し訳ありませんでした。
(つづく)
