佐藤一斎 著  久須本文雄 全訳注 『言志四録』 解題より
「三 著者 (五) 門人」

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 一斎が朱王両学を併取し、朱子学を説くと共に陽明学を奉じていたので、その門下からは朱子学者と陽明学者が出るに至った。朱子学者として著名なのは、
 安積艮斎 木下犀潭 大橋訥菴 中村敬宇
などであり、陽明学者としては、
 佐久間象山 山田方谷 池田草菴 吉村秋陽 河田藻海 奥宮慥斎
 林鶴梁 金子得所 柳沢芝陵 東沢瀉 中島操存斎 武村悔斎
 伊東潜竜 沢村西坡 渡辺崋山
などで、このほか彼の薫陶
くんとうを受けて世に出たものは少なくはない。大橋訥菴は初め陽明学を奉じていたが、後に朱子学に転じた。佐久間象山の門から吉田松陰(一八三〇 ─ 一八五九)が出ている。一斎の門から朱子学者よりも陽明学者の方が多く輩出していることからしても、彼の陽明学に対する志向の度が朱子学のそれよりも強かったことを物語るものといえる。
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 読後感に代えて、上記の門人の中で、ウィキペディアで検索できた者について、以下にウィキペディアを引用して、名前の読み方や略歴を記しておく。

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《朱子学者》

安積 艮斎(あさか ごんさい、寛政3年3月2日(1791年4月4日) - 万延元年11月21日(1861年1月1日))は、幕末の朱子学者。江戸で私塾を開き、岩崎弥太郎、小栗忠順、栗本鋤雲、清河八郎らが学んだ他や吉田松陰にも影響を与えたとされる。

木下 犀潭(きのした さいたん、文化2年8月5日(1805年8月28日) - 慶応3年5月6日(1867年6月8日))は、日本の武士・儒学者・熊本藩士。名を業広(なりひろ)、通称宇太郎(うたろう)、のち真太郎(しんたろう)、字は子勤(しきん)、号は犀潭(さいたん)、韡村(いそん)。

大橋 訥庵(おおはし とつあん、文化13年(1816年) - 文久2年7月12日(1862年8月7日)は、江戸時代後期の儒学者、尊王論者。諱は正順、通称は順蔵、字は周道、訥庵は号[1][2]。幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を及ぼした。

中村敬宇 ⇒ 中村正直
中村 正直(なかむら まさなお、1832年6月24日〈天保3年5月26日〉 - 1891年〈明治24年〉6月7日)は、日本の武士・幕臣、啓蒙思想家。東京女子師範学校校長、東京帝国大学教授。同人社創立者。興亜会会員。また福澤諭吉、森有礼、西周らと<明六社>を結成。幼名を訓太郎。通称を敬輔。号は敬宇。

《陽明学者》

佐久間 象山(さくま しょうざん/ぞうざん)は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。松代三山の一人。通称は修理(しゅり)、諱は国忠(くにただ)、のちに啓(ひらき)、字は子迪(してき)、後に子明(しめい)と称した。位階は贈正四位。象山神社の祭神。象山神社の隣が生家で、長野県の史跡に指定されている。

山田 方谷(やまだ ほうこく、文化2年2月21日(1805年3月21日) - 明治10年(1877年)6月26日)は、幕末期の儒家・陽明学者。名は球、通称は安五郎。方谷は号。備中聖人と称された。

吉村 秋陽(よしむら しゅうよう、寛政9年2月4日(1797年3月2日) - 慶応2年11月15日(1866年12月21日))は、江戸時代後期の安芸広島藩出身の儒学者。広島藩筆頭家老の三原浅野家の儒者。朱子学からのち陽明学を重んじた。諱は晋、字は麗明。通称は重介、秋陽と号した。

林 靏梁(はやし かくりょう、1806年9月24日(文化3年8月13日) - 1878年(明治11年)1月16日)は幕末の儒学者。「かく」は「雨」冠に「鶴」。

東 沢瀉(ひがし たくしゃ、天保3年10月9日〈1832年11月1日〉 - 明治24年〈1891年〉3月28日)は、幕末の岩国藩士・儒学者(陽明学者)。諱は正純、通称は崇一郎、号は白沙、沢瀉。沢瀉の号は、明治になってから用いている。

渡辺 崋山(わたなべ かざん、寛政5年9月16日(1793年10月20日) - 天保12年10月11日(1841年11月23日))は、江戸時代後期の武士、画家。三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩士であり、のち家老となった。通称は登(のぼり・ただし一部の絵には「のぼる」と揮毫)、諱は定静(さだやす)。号ははじめ華山で、35歳ころに崋山と改めた。号は他にも全楽堂、寓画堂など。
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 今回のブログで、《佐藤一斎 著  久須本文雄 全訳注 『言志四録』 解題》の紹介と読後感が終わった。
 長編読み物の読後感は、佐藤一斎の『言志四録』と、大湾節子さんの『幻の旅路』を、切りのよいところまで読んで、交互に読後感を書いていこうと考えている。(2015.10.12のブログ参照)
 そこで、次回からは、大湾節子さんの『幻の旅路』の読後感を書いていきたい。ちょうど大湾さんは、今月帰国し、沖縄で講演会を開くとのこと。このようなときにブログで読後感を書かせていただくのも、何かの縁だと思い、嬉しい。


 昨日、不覚にも、自宅の階段で足を滑らせ4段ほど踏み外して転げ落ちてしまった。階段に郵便物などはくれぐれも置かないほうがよい。幸い頭は打たなかったが、両腕と両足、背中などをしこたま打った。
 日中は静かに寝ていたが、歩けることを確認したくて、短時間の散歩に出たら、歩けたので安堵した。しかし、左手首や両方の上腕、右の肩甲骨が痛み出し、家人にバンテリンを擦りこんでもらった。


追伸
 先月から、ブログトップページの上部に、植野明磧先生の名著『良寛さん』の挿画「花びらを拾う」を掲載させていただいています。私の一番好きな挿画です。ブログが滞ることを心配しながら、パソコンの挿画 〔 金峯山寺の蔵王権現 〕 に手を合わせ、痛みが退くことを祈っています。