佐藤一斎 著  久須本文雄 全訳注 『言志四録』 解題より
「三 著者 (三) 学説」つづき


--ここから
 (ハ)死生説  彼の宿命論からして、死生もまた既に先天的に定まった運命によるもので、人為的にいかんともすることはできない。ただ、これに服従するほかはない。人に死生のあるのは、天に昼夜があるのと同じで、これを畏怖いふする理は存しない。彼は肉体上の死生を認めて精神上の死生を認めなかった。精神は死生の外に恒存して永久不滅なものとしている。

 (二)善悪説  精神はこれを天から授けたものであるから、純粋にして善なるものである。しかるに肉体は地から成るものであるから善悪の両面を兼ねている。人が悪に傾くのは、本性の然
しからしむるにあらずして、肉体の然らしむる所である。人間の本性は善であるが、過不及の有無によって善悪に分かれる。過不及の無い所が善にして、過不及のあるところが悪である。悪の起源は、まったく肉体に存して本性に存するものではないとしている。
--ここまで


 「人に死生のあるのは、天に昼夜があるのと同じ」だから畏怖(恐れ戦おののくこと)する必要はない、と述べる死生説には強く共感した。また、「精神は死生の外に恒存して永久不滅」というのは、霊魂の輪廻転生を指しているのか、または、その人の説いた学説や研究成果が世に広まれば、本人が死しても、その人の考えや思想は世に残るという意味なのであろうか。
 私がブログを書き始めるのにあたり、プロフィールで
--ここから
最近の信条は「人間死すともデータは遺る」です。
--ここまで
と、書いているくらい、上記、死生説の概説には大いに賛同する次第である。

 また、善悪説の「人が悪に傾くのは、本性の然しからしむるにあらずして、肉体の然らしむる所」という説にも、そのとおりだなぁ!と、深く首肯した。
 「過不及の無い所が善にして、過不及のあるところが悪」というところも、実に納得がいく。

大辞林三版
--ここから
か 語構成の区切り ふきゅう くわふきふ [2] アクセント 【過不及】
過ぎることと及ばないこと。程度を超えることと,程度に達しないこと。過不足。
--ここまで

 人生の「ちょうどよい塩梅あんばい」とは数値では測れないものだと溜息が出た。
 ブログを書き始めたころ、「“勝ち組”でも“負け組”でもなく人間はみんな“生き組”だ」と書いたことを思い出した。(2014.04.23 ブログ)


つづく