佐藤一斎 著 久須本文雄 全訳注 『言志四録』 解題
--ここから
一 書名
『言志録』の「言志」について古典に微して見るに、中国最古の経典である『尚書しょうしょ』(書経)の舜典には、
詩は志を言い、歌は言を永うす。
(詩言レ志、歌永レ言。詩は思想・感情を言葉に表したものであり、歌はその表現された言葉を声永く節をつけたものであるの意。『毛詩』大序に「詩は志の之ゆく所なり」とある。『毛詩』とは、魯の毛亨もうこう・毛萇もうちょうの伝える詩で、『詩経』の別名。志とは、こころばせ「意」。心の向うところ)
とあり、『論語』の公冶長こうやちょう篇には、
顔淵がんえん・季路きろ(孔門の二子)侍す。子曰く、盍なんぞ各々の爾なんじの志を言わざると。
(子曰、盍三各言二爾志一。各々自分の志望するところを言ってみないかの意)
とあり、なお、その先進篇には、
子路・曾晳そうせき・冉有せんゆう・公西華(孔門の四子)侍坐す。中略。子曰く、何ぞ傷いたまんや。亦た各々其の志を言うなりと。
(子曰、何傷乎。亦各言二其志一也。何も遠慮することはいらない。ただそれぞれ自分の思ったことを言うだけなのだの意)
とある。
「言志」の二字は、その出典が明らかではないが、恐らく『書経』や『論語』によって名づけられたものと思われる。
--ここまで
本書は、上記のとおり、「言志四録」の「言志」の二字の出展が『書経』や『論語』によるものであるとする解題から書き始められている。
現代の日本語辞書を搭載するパソコンで上記の文を転記するのは大変だった。漢文や旧仮名遣いによる文を書くことを生業にしている方々は、特別な辞書を搭載したパソコンをお持ちなのだろうか、あるいは、私がそうであるように、こつこつとユーザー辞書を育てているのであろうか。
読書の先行きが楽しみであるとともに、生きているうちに読み終えるかどうかが極めて心配になってきた。
かつて、岩波文庫『論語』と講談社学術文庫『論語物語』(下村湖人)の二書を読み比べながら読んだことを思い出した。このこともまた、いつかブログに書きたいと思っている。
また、 「詩は志を言い、歌は言を永うす」という文を読んで、高3生Aくんとともに読み終えた、小林秀雄の評論『考えるヒント』の「言葉」を思い出した。本居宣長の「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」に始まる評論だった。
つづく
--ここから
一 書名
『言志録』の「言志」について古典に微して見るに、中国最古の経典である『尚書しょうしょ』(書経)の舜典には、
詩は志を言い、歌は言を永うす。
(詩言レ志、歌永レ言。詩は思想・感情を言葉に表したものであり、歌はその表現された言葉を声永く節をつけたものであるの意。『毛詩』大序に「詩は志の之ゆく所なり」とある。『毛詩』とは、魯の毛亨もうこう・毛萇もうちょうの伝える詩で、『詩経』の別名。志とは、こころばせ「意」。心の向うところ)
とあり、『論語』の公冶長こうやちょう篇には、
顔淵がんえん・季路きろ(孔門の二子)侍す。子曰く、盍なんぞ各々の爾なんじの志を言わざると。
(子曰、盍三各言二爾志一。各々自分の志望するところを言ってみないかの意)
とあり、なお、その先進篇には、
子路・曾晳そうせき・冉有せんゆう・公西華(孔門の四子)侍坐す。中略。子曰く、何ぞ傷いたまんや。亦た各々其の志を言うなりと。
(子曰、何傷乎。亦各言二其志一也。何も遠慮することはいらない。ただそれぞれ自分の思ったことを言うだけなのだの意)
とある。
「言志」の二字は、その出典が明らかではないが、恐らく『書経』や『論語』によって名づけられたものと思われる。
--ここまで
本書は、上記のとおり、「言志四録」の「言志」の二字の出展が『書経』や『論語』によるものであるとする解題から書き始められている。
現代の日本語辞書を搭載するパソコンで上記の文を転記するのは大変だった。漢文や旧仮名遣いによる文を書くことを生業にしている方々は、特別な辞書を搭載したパソコンをお持ちなのだろうか、あるいは、私がそうであるように、こつこつとユーザー辞書を育てているのであろうか。
読書の先行きが楽しみであるとともに、生きているうちに読み終えるかどうかが極めて心配になってきた。
かつて、岩波文庫『論語』と講談社学術文庫『論語物語』(下村湖人)の二書を読み比べながら読んだことを思い出した。このこともまた、いつかブログに書きたいと思っている。
また、 「詩は志を言い、歌は言を永うす」という文を読んで、高3生Aくんとともに読み終えた、小林秀雄の評論『考えるヒント』の「言葉」を思い出した。本居宣長の「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」に始まる評論だった。
つづく