(前回のブログ「大学入試改革について新聞を読む。(1)」の続きです)

 二人の高3生(学校は異なるがどちらも進学校)の話を聞くにつけ、彼らの高校で「豊かな学び」を実現するのは極めて困難かと思いました。
 と、いいますのも・・・
 教育制度を改変する前に、教師の授業実践力を高めないことには何も始まらない
という思いを強くしているからです。

 二人の高3生の学校では、4月に新学期が始まって以来、
複数の科目で一度も教科書を使っていない
という話を聞いたからです。
 では、教科書を一度も使わないで、どのように日々の授業が進むかというと・・・
市販の受験用問題集のコピーが配布され、生徒は問題を解くだけで授業が終了
(教師は机間を回っているか、教卓で事務仕事をしているだけで会話はない)
・・・だそうです。
 あまりにひどい話に憤慨した私が妹に話すと、驚くことに、妹の教室に来ている中・高生の多くが似たような授業を学校で受けているとのこと。

 学校で教師が行うべき毎日の教育指導が、自習プリントの形態だけでよいのでしょうか?!

 私が教えている二人の高3生は中学3年以降、日本史を学んでいなかったのですが、私が常々「歴史は面白いよ、大事だよ」と言うものですから、二人のうち一人は高3になった今年、選択科目として日本史を取り、楽しみですと語っていたのですが、
「先生(ブログ筆者のこと)から歴史は面白いと聞いていたのですが、ぜ~んぜん面白くないです!」
と言われ、授業の様子を訊くと、生徒は、学校で配布される日本史のプリントを見せながら
「教科書は一度も使われないで、このプリントだけです」
と語り、上記の実態がわかったというわけです。

 さらに話を聞くと、学校が異なる二人の高3生ともに、
「古典の授業も、問題集のプリントが配られるだけで、古典の本文にはほとんど触れず、文法問題ばかり」
と異口同音に言います。

 もちろん、国内すべての学校がこのような実態ではないでしょうが、居住地やその近隣の公立高校の実態の一端であることは確かです。
 歴史嫌い、国語嫌い、勉強嫌いの生徒が量産されているのではないかと、すごく不安になりました。

 学校で実施される授業がプリント学習だけ、というのはいかがなものかと思うのです。
 こんな実態の上に、大学入試改革がのしかかったら、公立高校は瓦解するのではないかと心配しています。