この逸話と次の「清貧」という逸話は、亀田鵬斎(かめだほうさい)という儒学者を介して連続しています。
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かめだ‐ほうさい【亀田鵬斎】 江戸後期の折衷学派の儒者。江戸の人。名は長興。通称文左衛門。別号善身堂。井上金峨に学ぶ。徂徠学を排撃し寛政異学の禁にふれた。詩、書をよくした。主著「大学私衡」「論語撮解」。(一七五二~一八二六)
『国語大辞典 新装版』(小学館1988)より
亀田鵬斎が『良寛さん』に初めて登場したのは「障子に書く」という逸話です。「障子に書く」は Atsuko さんのブログ『神戸市西区 Atsukoきもの着付け教室』で読めます。また、私も「障子に書く」の読後感を書いています。
今回、「自然と語る」のあらすじは次のとおりです。
原書の雰囲気を残すため、会話部分はそのまま引用しました。また、文中の下線はブログ筆者によります。
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秋の半ばの昼さがりに、突然、江戸の大儒、亀田鵬斎が五合庵を訪れた。鵬斎は、折衷学派の棟梁で、家塾には千人を超える門人がいたが、老中 松平定信による寛政異学の禁の筆頭に挙げられ、塾を閉じ、諸国を巡歴して越後にやってきた。鵬斎は、越後各地の文人宅で見る良寛和尚の書の素晴らしさに目を見張り、書道について教えを乞うために五合庵を訪れたのだった。
鵬斎は、清貧に徹して、一途に仏道を求める良寛さんの生活ぶりを目の当たりに見て、強く心を打たれた。良寛さんもまた、朱子学以外の一切の学問を禁止して、封建体制を強化しようとする徳川幕府に迎合しない鵬斎の気骨を、かねてから承知していた。
互いに共感を呼んだ二人の話題は尽きぬまま夕暮れが迫った。国上寺の鐘の音を聞いた良寛さんは、急に思い出したように言った。
「あっ、うっかりしていた、鵬斎先生は酒がお好きじゃったのう。暗くならぬうちに、ひとっぱしり酒屋へ行ってきますよ、こんやは二人でゆっくり飲みましょうかのう。」
良寛さんは、さっそく徳利をさげて、さっさと山を下りて行った。
鵬斎は、いろりに榾柮(ほた)をくべたり、得意の詩を口ずさんだりしていたが、退屈のあまり居眠りをはじめた。ふと目を覚ますと、縁側に月の光がさしているが、良寛さんはまだ帰らない。
(もしかすると、良寛さまは怪我でもなさったのではないかなあ?)
鵬斎は庵の外へ出て山路を見下ろしたが、帰ってくる様子がないので、急いで山を下りて行った。
「良寛さまあ、良寛さまあ。」
鵬斎はいよいよ心配になって、なおも山路を下っていった。
(おやっ、あそこに誰かがうずくまっているぞ!)
鵬斎は恐る恐る人影のほうへ近づいて行くと、良寛さんが松の木の根っこに腰をかけて、ぼんやり月を眺めているのだった。
「良寛さまではありませんか?」
良寛さんは、はっと我に返って、得意げに言った。
「ああっ、鵬斎先生、ここへござってあの月を眺めてごらんなされ、きれいな月ですぞ!」
「なるほど、素晴らしい月ですなあ・・・・・・ところで良寛さま、お酒のほうはどうなさいました?」
これを聞いた良寛さんは、びっくりして立ち上がった。
「あっ、これはしまった、酒を買うのを忘れていましたわい。」
もう酒屋は閉まっているに違いないので、鵬斎は何度も止めたが、良寛さんは徳利を下げて麓のほうへ急いで下っていった。
「鵬斎先生、こんどは大丈夫、すぐ帰りますから、庵で待っててくだされや!」
あっけにとられた鵬斎は、感慨無量の面持ちで庵へ戻った。
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<辞書を読む>
せっちゅう‐がくは【折衷学派】
1 相反する両方の学説を折衷した学派。2 江戸中期に行われた儒学の一派。古典の解釈をする際、古注・新注のどちらにもかたよらないで適切な説を取り入れ、また諸説を取捨して穏当な説を立てようとしたもの。片山兼山より起こり、井上金峨に至り盛んになった。
とうりょう(‥リャウ)【棟梁】
3 ある集団の中心となる人。指導的立場にある人。かしら。首領。頭領。統領。「武家の棟梁」
寛政異学の禁
松平定信が寛政の改革の一端として寛政二年に行なった朱子学保護政策。
ほた【榾・榾柮】
(「ほだ」とも)
1 炉や竈(かまど)でたくたきぎ。木の切端や枝、枯木など。《季・冬》
2 大きな材木。また、地面に倒れて朽ちた木。
かんがい【感慨】
深く感じてため息をもらすこと。また、そのときの気持、現代では多く、以前の経験や、古人の事跡などを思い起こしたときにおこるしみじみとした気持にいう。「感慨にひたる(耐えず)」
かんがい‐むりょう(‥ムリャウ)【感慨無量】
〔形動〕感慨がはかりきれないほど大きいようす。何ともいえないほど、深く感じいるようす。感無量。
『国語大辞典 新装版』(小学館1988)より
「逸材が逸材を知る」とは、この逸話のことだなと思いました。
文中にあったとおり、当時、鵬斎は非常に有名な碩学で、儒学者だけでなく、書家としても名の通った人でした。それだけの人が、なお教えを請いに五合庵を訪ねるのですから、訪ねる鵬斎も訪ねられた良寛和尚も「本物」だなと思いました。
私のような市井に住む凡庸な人間は、「せっかく訪ねてきたのに、酒を買いに行ったまま帰らずに、下山の途中で月を見上げていたとは、何たる侮辱!」と腹を立てるところですが、鵬斎は「感慨無量の面持ちで庵に戻っ」て、良寛和尚を待ったのです。
では、どうして良寛和尚は酒を買いに行くのを忘れて月に見入っていたのでしょうか。その答えは、植野明磧先生の解題にあります。
以下、解題を引用させていただきます。原書で傍点が打たれた言葉は、“ ”で囲んで表記しました。
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良寛さんは“心の眼”で月を眺めました。心眼で眺める月は生きています。良寛さんは月に向かって、同じその月を眺めた古聖先哲の事跡について問いかけました。また、身を焼いて、老いた旅人の飢えを救った“月の兎”のことを、涙で袖を濡らしながら語り合いました。
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良寛さんが語り合った相手は、心眼で眺めた「生きている月」にほかなりません。良寛和尚は、月と対話していたのですね。鵬斎は、このことを見抜いていたに違いありません。
明磧先生の解題の続きです。
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月ばかりではありません。
岩室の田中の松は待ちぬらしわれ待ちぬらし田中の松は
道のべにすみれ摘みつつ鉢の子を忘れてぞ楽しあはれ鉢の子
蚤しらみ音をたてて鳴く虫ならばわがふところは武蔵野の原
岩室の田中の一本松は、托鉢に往き来する良寛さんの良き友でした。子どもらと花摘みに興じて、野原に置き忘れた鉢の子を、良寛さんは一晩中憐れみました。さらにまた、自分の懐中に宿る蚤やしらみに話しかけ、その命をさえ畏敬した良寛さんでした。
このように、自然のすべてが、良寛さんの対話の相手だったのです。
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自然のすべてを対話の相手とする良寛和尚だからこそ、大切な人の来訪中であっても、恣意的ではなく、心の赴(おもむ)くままに美しい月に見惚(と)れてしまうのだと、頭で必死に理解しようとしている私に、明磧先生が
「素人学者さん、頭で理解はできないのだよ。」
と、微笑んでくれた気がしています。