植野明磧先生がお書きになった名著『良寛さん』の第1話が「花びらを拾う」です。このお話については、過日ブログで触れましたが、難解語を辞書で読む話に終始してしまいましたので、改めて読後感を書かせていただこうと思います。

 「花びらを拾う」のあらすじは次のとおりです。
--ここから
 玉島の円通寺で修行に励んでいた良寛さんが、33歳のとき、禅道の奥義に到達し、恩師 国仙禅師から、『良や愚なるが如くして、道転(うたた)寛し・・・・・・。』という七言四節の詩偈(しげ)と、藤の杖とを授けられた。
 その翌年、惜しくも国仙和尚が示寂(じじゃく)し、良寛さんは、諸方を行脚して名僧知識を訪ねる雲水の旅を重ねていたが、38歳のとき、父の死を知らせる手紙を受け、良寛さんは円通寺へ戻った。
 良寛さんの父 山本伊織は、名主と神官を兼ねるとともに、以南と号して北越蕉風中興の棟梁と言われた俳人であり、国学にも通じた学者でもあった。
 以南は、当時の幕藩体制の矛盾や為政者の堕落に対して強い憤りを燃やし、家督を良寛さんの弟 由之(ゆうし)に譲ると、尊王憂国の志士たちとの接触を深めていった。
 それから約10年、以南に対する幕府の追及が厳しくなり、以南は60歳を一期として、桂川に身を投じて果てた。
 良寛さんが父の追善供養の法要に参列したとき、「以南が、桂川に身を投げたように装い、実は高野山に逃れた。」という、意外な話を耳にし、良寛さんは一縷(いちる)の望みをつないで高野山に向かった。
 しかし、徒労に終わった良寛さんは、父の冥福を祈りながら下山し、吉野山にある金峯寺の蔵王堂に参拝した。
 良寛さんは、金峯寺の本尊である蔵王権現(ごんげん)について、住職から「蔵王権現さまは、この吉野山の桜を愛し、散って行く花びらを惜しまれて、それをお拾いになるのだ・・・・・・。」という心温まる言い伝えを聞いた。
 それを聞いて感激した良寛さんは、これまでの迷いのすべてが離散するのを覚えた。
 中国に渡って仏道修行をしようと決意していた良寛さんは、蔵王権現の行状を教えられ、ふる里の越後が恋しくなり、(早くふる里へ帰り、蔵王権現様のように、ふる里の花びらを拾おう!)と願い、改めて父の冥福を祈った。
--ここまで

 明磧先生は逸話に続いて、次のように解説なさいました。
--ここから
 ふる里の花びらを拾うというのは、散って行くふる里の人の心を拾うことです。人の心を拾うというのは、人の心を温め、人を真に愛することです。そして、ふる里の人々を真に愛することが、そのまま広く人間を愛し、一切の衆生(しゅじょう)を愛することに繋(つな)がるのです。
 良寛さんの帰郷は、越後の民衆にとって、まさに蔵王権現様の出現だったのであります。
--ここまで

 明磧先生の解説を読むまで、私は、逸話を読んでいる間も「蔵王権現が散って行く花びらを惜しんで拾うとは、どういうことだろう?」と理解ができませんでした。(愚かですねぇ!)
 明磧先生の解説を読んで初めて理解できました。明磧先生、ありがとうございます。
 本書は、このように、各逸話のあとに、明磧先生が逸話の肝心な部分について、子どもにもわかるように、説明してくださるという構成をとっています。

 本編「花びらを拾う」には、良寛さんの名前「良寛」のもとになった、恩師 国仙禅師の七言四節の話に触れながら、良寛さんが越後の庵で暮らすようになったいきさつに触れています。
 本編が名著『良寛さん』の第1話になっていることも頷けました。
 良寛さんは、父親が亡くなる前に、すでに曹洞宗の公案を解いて、悟りの境地に達していたのですが、蔵王権現の伝承を知ることで、さらに奥深い悟りの境地に達したのだと、愚かな私なりに理解させていただきました。
 このようにありがたい名著を読む機会を与えてくださった Atsuko さんには感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

追記
 本編にある言葉を辞書で引きました。
名僧知識の「知識」
仏道に教え導く指導者。導師。善知識。
(『大辞林 三版』の「知識」語義⑥(ア)より)


「北越蕉風中興の棟梁」の「蕉風」と「棟梁」
しょう ふう せう ─  [0] [3] 【 蕉▼風】
松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては幽玄・閑寂を重んじ,さび・しおり・細み・かるみを尊ぶ。また,付合 (つけあい) では,それまでの物付け・心付けに対し,におい・うつり・ひびき・位など,余情・風韻を重視する匂 (におい) 付けを創出した。正風。蕉流。

とう りょう ─ りやう [1]【棟 梁▼】の語義③
③ 一族・一門を率いる者。かしら。おさ。頭領。統領。 「武家の ─ 」

(どちらも『大辞林 三版』より)

さらに追記
 実は、私、素人学者は、高校生の時、「禅同好会」に入っていて、高校1年の夏、
高校の英語教師 山田先生に連れられて、勝海舟も参禅した「両忘庵」という禅寺に3日間、人生初めての参禅会を体験しました。
 大学入学後も、大学の「禅の会」(
両忘禅協会)で座禅を組んでいました。人文学部の白田教授が老師を務めていらっしゃったと覚えています。
 時は流れて、平成11~14年頃、当時勤務していた学校の保護者から参禅会に誘われました。そのときの老師が、高校1年の夏に訪れた禅寺の息子さんでした。 
 『良寛さん』を読んでいて、記憶が甦りました。