11月2日のブログで“「特異な成績下降」を招く「実感を伴わない理解」の蓄積”を書きました。
 そのとき話題にしたのは、1年から数年前には「理解して解答できていた数学の方程式」や「読み書きできていたteacherなどの基本英単語」などが、わからなくなったり、書けなくなったりする現象が、学年・性別・家庭環境も様々な複数の生徒に発生したということでした。

 昨夜、妹と、この件について1時間ほど話し合いました。
 私は、2年前から妹が主宰する英語教室で、数学や国語を教えるアルバイトをしている老人なのです。
 この“
奇妙な学力問題”は、英語を教える妹にとっても重大問題になっています。

 私は、11月2日のブログで、その原因を次のように推論しました。

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 しかし、これら3例の生徒たちは《「実感を伴う理解」をしてこなかった》に違いないと思い当たりました。

 表層雪崩のように、勉強したことが頭の中から流れ出てしまったのではないかと思いました。この現象は、「学力低下」という言葉では語り切れないので、「学力失速」と呼ぶことにしました。

 なんとなく分かったつもり、勉強したつもり・・・が「つもりつもっ」て学力失速を招いたと推察しています。
 やはり「実感を伴う理解」は勉強に不可欠です。
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 ここ数日、自作データベース「教材帖」で、教育関係の新聞記事を読んでいます。

 10月4日の読売新聞に「ゆとり教育の反省」と題する芳沢光雄氏の論文が載っていました。芳沢氏は、桜美林大学リベラルアーツ学群教授で、専門は数学・数学教育です。

 10月5日のブログ“やはり、「ゆとり教育」は国策(文部行政)として大失態だっと思う。”にも書いたのですが、10月4日の芳沢氏の新聞掲載論文には「ゆとり教育」の実態が数値で示されていました。
 (箇条書きにして引用/太字と丸数字はブログ筆者による)

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①1970年代に年1047時間あった小学校の算数授業時間数は869時間に削減された。

②中学全学年の数学授業時間も世界最低レベルの週3時間となった。

③かつて9単位の必修があった高校数学は、選択必修として最低2単位だけ履修すればよくなった。

④算数のかけ算は、3桁同士の計算で初めて繰り上がりなどの仕組みがよく理解できるが、2桁同士のかけ算しか教えない。

⑤中学3年間の数学の証明問題数は約200題から約60題まで減らされた。
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 「うーむ、これは大変なことだ」と、思わず声に出して唸りました。

 授業時間が削減される中で、緊張感を失い、手足をもがれた授業が「実感の伴わない理解」を“育てて”いたのではないかと、改めて推論しました。

 これでは「公教育がんばれ」や「日本人の学力復活」などという思いを叫んでも、空念仏に終ってしまいそうです。

(大辞林 三版)
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から ねんぶつ [3] 【空念仏】
①心のこもらない口先だけの念仏。
②実行の伴わない主張。「公約も ─ に終わる」
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 大雨の降る空を見上げながら、同じことを繰り返してブログに書くのは老化現象の現れかと、何回もため息をついています。