日頃ご指導いただいている、めたさんの10月8日のブログ『「無理題」に遊ぶ』で「国語辞書は“誤り”をどう示しているか」を興味深く読ませていただきました。
めたさんのブログで紹介された慣用句・語句の中に「流れに掉さす」がありました。
めたさんのブログによれば、「流れに棹さす」については、「三国七版」「新明解七版」「明鏡二版」「広辞苑五版」のいずれもが「誤った例も“誤り”として説明」していました。また、私が調べた「大辞林三版」「集英国3版」でも同じ扱いでしたので、「流れに掉さす」については、つごう6辞書が「誤った例も“誤り”として説明」していたことになります。
言葉の「誤った例は示さない」辞書が多い中で、どうして「流れに掉さす」は、こんなにも「誤った例も“誤り”として説明」されているのだろうと疑問が生じました。
あれこれ考えた結果、「誤った例も“誤り”として説明」する理由として、次のような考えが残りました。
◎辞書編纂者が誤用されることに危機感を抱いた言葉であること。
誤用されたままでは日本文化に瑕(きず)がつくというくらいの危機的水準と判断された誤用、見過ごせない誤用である場合に、辞書編纂者は「誤った例も“誤り”として説明」せざるを得なかったのではないでしょうか。
つまり、「この辞書に書かれている語釈のとおりに、その言葉を理解すればいいのですよ」という、「上から目線の“鑑”の辞書」としての態度では「矯正できない」と判断された言葉なのでしょう。
実は、私には、「流れに掉さす」に関連して、この考えを導き出す体験があったのです。
それは、高校生の頃に夏目漱石の『草枕』を読んだときのことです。
漱石の『草枕』の冒頭に次のような文章があります。
--ここから
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
--ここまで
当時、私は、この文章の「情に棹させば流される」を「流れに掉さす」の誤用のとおりに間違った理解をしていて、「どんなに情に抗(あらが)おうとしても、情に絆(ほだ)されてしまい、理性的な判断・行動が取れない」というように解釈していたのです。
正しくは「人の気持ちを慮(おもんぱか)って、情けに基づいて行動していると、相手の言い分ばかりを通す結果になる」くらいの解釈になると思われます。まったく正反対の解釈になっていたのです。
『草枕』の「情に棹させば」を正しく理解できたのは、学生時代に読んでから十数年経ってからのことでした。(自嘲の笑い)
以上のことから、辞書が“流れに棹さす”の誤用を正す背景には、『草枕』のような名著を正しく読めない日本人が増えたことに気づいた辞書編纂者が、「上から目線」から一段降りざるを得なかったことによるのではないかと、珍説(※)を唱える素人学者であります。
(※)大辞林三版によれば
ちんせつ【珍説・椿説】
①めずらしい話。珍談。
②めずらしい意見。また、風変わりな、ばかばかしい意見。
めたさんのブログで紹介された慣用句・語句の中に「流れに掉さす」がありました。
めたさんのブログによれば、「流れに棹さす」については、「三国七版」「新明解七版」「明鏡二版」「広辞苑五版」のいずれもが「誤った例も“誤り”として説明」していました。また、私が調べた「大辞林三版」「集英国3版」でも同じ扱いでしたので、「流れに掉さす」については、つごう6辞書が「誤った例も“誤り”として説明」していたことになります。
言葉の「誤った例は示さない」辞書が多い中で、どうして「流れに掉さす」は、こんなにも「誤った例も“誤り”として説明」されているのだろうと疑問が生じました。
あれこれ考えた結果、「誤った例も“誤り”として説明」する理由として、次のような考えが残りました。
◎辞書編纂者が誤用されることに危機感を抱いた言葉であること。
誤用されたままでは日本文化に瑕(きず)がつくというくらいの危機的水準と判断された誤用、見過ごせない誤用である場合に、辞書編纂者は「誤った例も“誤り”として説明」せざるを得なかったのではないでしょうか。
つまり、「この辞書に書かれている語釈のとおりに、その言葉を理解すればいいのですよ」という、「上から目線の“鑑”の辞書」としての態度では「矯正できない」と判断された言葉なのでしょう。
実は、私には、「流れに掉さす」に関連して、この考えを導き出す体験があったのです。
それは、高校生の頃に夏目漱石の『草枕』を読んだときのことです。
漱石の『草枕』の冒頭に次のような文章があります。
--ここから
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
--ここまで
当時、私は、この文章の「情に棹させば流される」を「流れに掉さす」の誤用のとおりに間違った理解をしていて、「どんなに情に抗(あらが)おうとしても、情に絆(ほだ)されてしまい、理性的な判断・行動が取れない」というように解釈していたのです。
正しくは「人の気持ちを慮(おもんぱか)って、情けに基づいて行動していると、相手の言い分ばかりを通す結果になる」くらいの解釈になると思われます。まったく正反対の解釈になっていたのです。
『草枕』の「情に棹させば」を正しく理解できたのは、学生時代に読んでから十数年経ってからのことでした。(自嘲の笑い)
以上のことから、辞書が“流れに棹さす”の誤用を正す背景には、『草枕』のような名著を正しく読めない日本人が増えたことに気づいた辞書編纂者が、「上から目線」から一段降りざるを得なかったことによるのではないかと、珍説(※)を唱える素人学者であります。
(※)大辞林三版によれば
ちんせつ【珍説・椿説】
①めずらしい話。珍談。
②めずらしい意見。また、風変わりな、ばかばかしい意見。